// // 学問の「実学度」について考えてみます

学問の「実学度」について考えてみます

実学は、生活に役に立つ学問というのが一般的意味です。この役に立つ学問ということについては、いろいろ考えるべきことがあるように思います。たとえば、役に立つ程度がどのくらいかという問題です。

実学とは何かという問題の答えは相対的です

たとえば、ある学問の役に立ち方について考えてみると、

明日にでも役に立つ

1~2年後に役に立つ

3~4年後に役に立つ

5~10年後に役に立つ

10~20年後に役に立つ

20~30年後に役に立つ

30~50年後に役に立つ

50年後~に役に立つ

100年後~に役に立つ

ちょっと細かすぎますが、こういう期間による視点も成り立ちます。

個人が収入を得たり、出世したりするために必要な学問は、明日から役に立つものから20~30年後くらいに役に立つ分野でしょうか。しかし、30年後まで無収入で生活できないので、一番よいのは明日から役に立つようなものがよいわけです。

今の時代、個人の収入と出世ということで考えると、大学に進学するのが有利だというのが一般的な見方です。それで、大学に進学したら4年はかかるのですが、4年後に役に立つ専門分野を多くの人は学ぼうとします。

4年後に役に立つというのが少々くせ者で、そのときは就職口もたくさんあった分野が、4年後には急激に縮小していたということもあるのです。私が高校生のとき、化学の先生が、大学に入るとき高分子化学は就職口もたくさんあって人気分野だったのが、卒業するころにはさっぱりだったという話をされていたのを思い出します。(今でも高分子化学は重要な分野ですが、おそらく化学の先生が卒業される頃にはオイルショックの影響があったのではないかと思います。)

何を学ぶかは時代の波に影響されます

バブル景気の時代は、もの作りを本業とする企業も、いわゆる財テクに走るほどでした。あの時代、日本中は財テクブームだったのです。そのため、経済、金融系の専門分野が、受験生にも人気があったということが印象に残っています。あの時代の役に立つ学問の先鋒は、財テクに役立つ分野でした。

しかし、バブル崩壊後は理系の方が就職に有利という見方へ変わっていきました。

ただし、最近は、求人が増え、求人倍率が増加傾向にある中で、文系の志望者が増えているという話もあります。景気がよくなると文系人気が高まるということなのでしょうか。

文系学部人気が続いている。その中心は経済・経営・商学系だが、来春は社会・国際系や文・人文系の人気が上がりそうだ。

週刊「サンデー毎日」2017年11月12日号より

https://mainichi.jp/articles/20171204/org/00m/100/023000c

もちろん、理系学部が一般的に就職率がよいことは今も続いているでしょう。しかし、時代によって就職に有利な専攻分野が変動します。

今春に続き、来春入試でも理系受験生の減少が決定的となった。負荷のかかる教科を頑張ってきた理系生には朗報だが、学科レベルで見ると、情報系など難化含みの系統もある。

週刊「サンデー毎日」2017年11月5日号より

https://mainichi.jp/articles/20171211/org/00m/100/031000c

理系分野でも、情報系の学部・学科は志望者が増えているということです。今の時代はやはりこの分野が花形ですね。

実学とみなされる内容は変化します

個人の就職や収入のために役に立つ学問は、時々刻々と変化します。数年後の未来を的確に予測することも難しいです。

実学として大学で学んだはずが、社会に出ようとすると役に立たなかったため、結局、学んだことは青春時代の思い出として残っただけだった。そういうこともあり得ます。

個人にとって役に立つ学問としての実学という観点からは、それが役に立つ度合いは、時々の産業のあり方によって細かく変動する相対的なものということができます。

ある実学とされるような学問が、どれくらい役に立つかという度合いを「実学度」と呼ぶとすると、その実学度も絶えず変化するものといわざるをえません。

実学という概念は、こういう点ではどこまでも漠然とした概念にとどまるしかありません。

「実学度」は単純には測れません

社会の変化と実学度

この「実学度」は、一本の数直線で表せるような単純なものではありません。

すぐにでも役に立つ可能性が高い知識や技能は、ある国や地方の産業のあり方に依存します。農林水産業が中心の産業である国、工業が中心の国ではそれぞれ求められる人材は異なります。

学歴についても、高度経済成長期では、中学校を卒業して就職する人材が重宝されました。就職してから、定時制や通信制高校を卒業する人も多くありました。さらに向学心のある人は、夜間開講の学部や通信制の学部に進学し、働きながら大学を卒業する人もありました。今では中学校卒業だけでは、正社員として就職するのは難しくなり、その後の働きながらの進学まで奨励してくれる企業もほとんどなくなってしまいました。

産業構造の高度化といわれる変化が進むにつれ、求められる人材も変化し、役に立つ知識や技能も変わってきました。

※産業構造の高度化とは、農林水産業などの第一次産業から、製造業などの工業系の第二次産業へ、さらに商業や運輸業、通信業、サービス業などの第三次産業へと主要な産業が変わっていくことです。

今の日本では、第三次産業が就業者数でもGDPに占める割合でも7割ほどとなり、中心の産業です。

※ただし、第三次産業というくくり方は、小売業も外食産業も医療・福祉事業も金融業もネットサービスも運送業も公務員なども含んでおり、範囲が広すぎます。そこで、第四次産業という知識集約産業(たとえば、医療や教育、情報産業など)を区別する考え方もあります。

今の時代は、より実学度が高い分野は、産業構造の視点からすると、高度成長期に盛んだった第二次産業よりも、第三次産業の分野ということになります。要するに、求人が多い分野が実学度が高いということです。

第三次産業の中でも、格差が進んでいます。上記のように、第三次産業の中でも知識集約産業は生産性も高く労働者の収入も多くなりますが、人の労働によってのみ成り立つサービス業では、特別に高単価なサービスを売るのでもない限り、価格競争の中で、労働者一人あたりの生産性は限界があり、収入も上がりにくくなります。

そう考えると、今の時代は、知識集約産業に関連する分野が、高収入が期待できる分野の実学度は高くなります。

働きがいや生きがいと社会貢献から見た実学度

収入が多いことは、幸福の条件であることは確かです。しかし、働きがいや生きがいを感じる仕事をすることも幸福の条件に含めたいと思う人は多いでしょう。

たとえば、お客様に喜んでいただけたとき、この仕事をしていてよかったと感じたという人もいるに違いありません。

ある個人のお客様に喜んでいただけた、取引先の企業に喜んでいただけたとか、さらには自分の仕事が社会のために役立っていることが実感できたということは、働くことのモチベーションを高め、生きている喜びにもつながります。

そういうところから見ると、収入とは別に、働く人の働きがいと社会全体にとっての有用性も実学度の指標になります。

医療の仕事は医師を頂点として、収入面で優遇された職業です。同時に、人に喜ばれ、社会にも貢献できる職業でもあります。医療分野はそういう意味では実学度が非常に高い分野といえます。

一方で、保育や介護などの福祉分野は社会的貢献度は高いものの、収入面では必ずしも恵まれていません。しかし、社会において必要不可欠な職業である点で、実学度は高いといえます。(収入面の問題は、市場原理では解決されにくい問題ですので、政府の政策によって改善される必要があります。)

科学の基礎的研究は、主に大学や公的研究機関で行われています。こうした研究の成果の中には、何十年もたってからその研究の偉大さが明らかになることが多々あります。何十年も前の成果によって、ノーベル賞が授与されるケースを、私たちは毎年のように知らされています。

また、科学の応用的研究でも、短期間で商品化できないような研究は、大学などの研究者によって行われています。

こうした研究について、実学度をどうとらえればよいのでしょうか。ある研究が実際に役に立つかどうか予測できない研究が多くあるわけです。ある研究について、50年後や100年後にならないと役に立つかどうかわからないとしても、今の時点では技術革新を起こす可能性はあるわけです。

世間一般では、こうした研究は実学度が低いとみなされるでしょう。企業も役所も積極的にお金を出してはくれないのが現実です。

しかし、いつか役に立つにちがいないという確信をもった研究にじっくり取り組むことができるなら、それは研究者にとってやりがいのあることですし、社会的にも意義があると思います。

自然科学の基礎的研究や、工学でも短期間での実用化が難しい研究分野は、どうしても社会的な評価としての実学度は下がるでしょう。しかし、時代の変化とは無関係に一定の実学度を維持し続ける分野だといってもよいと思います。

実学度は、いろいろな視点から評価することが必要です。個人の出世や収入という視点だけでは、実学の辞書的な意味から見ても不十分です。

結び

学ぶことにはいろいろな動機があります。大多数の人は、学ぶことで自分の職業を得て、それによって安定した生活を送り、自分のしあわせを実現し、社会にも貢献したいと考えるのではないでしょうか。この学びは実学といえると思います。

しかし、何を専門的に学ぶかを決めるとき、迷う人の方が多いのではないでしょうか。子どもの頃から目標をはっきり一つに絞り込んでいる人は、そうは多くないと思います。

進路に迷ったときに、少しでも後々に有利な分野を学ぼうと考えるのは自然なことだと思います。その際、実学といわれるような分野から候補をピックアップするのが一般的なことです。しかし、それらの分野の有用性や将来性について判断するのは容易なことではありません。医学部のように実学度が最高ともいえる分野は例外かもしれませんが、事前にすべてを計算し尽くして、将来性のある分野を学ぶことはほぼ不可能ではないでしょうか。

そうなら、本当に自分がやってみたいと思えることを見つけることが、もっとも正しい選択になるのではないかと思います。

iPS細胞をつくられた山中伸弥教授のように、臨床医として出発されながら、研究の道に進まれた方もあります。山中教授は、整形外科医として、頸椎損傷など、現代医学の限界を痛切に感じられたことが、基礎医学研究の道に進まれたきっかけだったと述懐されていました。

※この話は、テレビ番組で見た記憶をもとに書いたので、出典が怪しいということになります。同様の話は、「ログミー」というサイト(http://logmi.jp/37151)に掲載されている、山中教授の「人間万事塞翁が馬」という高校生向けの講演の書き起こしの記事に出ています。多くを学べるすばらしい講演ですので、ぜひご一読ください。

人生は何が起こるかわかりません。すべて予定通りには進まないのが当たり前です。学ぶことや研究することも、仕事を得ることも、仕事を成功に導くことも、必ずしも思うようにいかないものです。しかし、自分が本当にやりたいことをめざして最善をめざすことは、たとえ思い通りにならなかったとしても、悔いのない人生をおくることができると思います。

実学とは何かいう問いへの答えは、それぞれの時代の要請から決まるものではあります。しかし、実学を学び研究するのも人間、それを生かすかどうかも人間がすることです。最終的には、実学の実学度や実学性はそれぞれの人の生き方の中で決まるものだと思います。

学びを実のあるものにするか否かは、それぞれの人の努力によって決まってくるもので、あらかじめ定義されるものとは言い難いものです。

実学についてあれこれと考えてきましたが、今の時点ではこんな考えになりました。

スポンサーリンク