// // 文系と理系という区別はそろそろやめませんか

文系と理系という区別はそろそろやめませんか

人間には文系と理系の二つの人種がある

そんな考えをいだいている人は、まさかいないとは思います。

が、文系と理系をという区別が何らかの必然性を持っていると考える人は、世の中にはゼロではないかもしれません。

私は、その区別には意味がないと思っています。

文系・理系は研究対象が違うだけです。

文系は、大学の学部でいうと法学・経済学・商学・文学などで、

理系は、理学、工学、医学などでしょう。

これらは、伝統的な学部分類ですが、最近ではもっと細分化された学部名があります。

文系・理系を画する分野として、数学が得意かそうでないかという点があげられることが多々あると思います。

確かに、文系の人間が苦手とするとされるさいたる科目は、数学です。

数学が苦手だから、あるいは得意でないという理由で、文系を選んだ人は多いのではないでしょうか。

数学は、物理学において利用される分野として、単なる「机上の空論」とは違う学問、すなわち「虚学」とは一線を画する重要な学問としての地位を築いてきました。

現代では、工学の多くの分野で応用される基礎的な分野、それだけではなく、経済学などのいわゆる文系の分野でも基礎的な分野として、たいへん重要視されています。

数学は自然現象や社会現象を実証的に研究する学問ではありません。

数学が理系に分類されるとしても、研究対象から考えると他の理系の学問分野と比べると明らかに性質の違う学問です。

そう考えると、数学が得意か苦手かというような理由で、人間を二つに分類することには無理があります。

文系と理系の区別は、かつての旧制高等学校の文科・理科の区別に由来するとも言われます。

外国語を中心に学ぶか、数学を中心に学ぶかだけの違いです。

それは言い換えると、外国語のような自然言語か、数学のような人工言語を中心に学ぶかという違いです。

好き嫌いは別として、そもそも人間として持っている能力の違いとして、自然言語であろうが人工言語であろうが、それらを理解しあやつることにたいした違いはないでしょう。

人間に二つの断絶された能力があると考えることはあまりにも不自然です。

プラトンは理系か文系でしょうか。ダビンチ、デカルト、カント、ゲーテはどちらでしょう。そんなことを考えると、現代の分類からしても、彼らは両方持ち合わせているとしか思えません。

そのほかの音楽家や画家・彫刻家は理系か文系かと問うてみても同じです。彼らは両方の知性や感性を持った人です。

文系か理系か、高校で進路決定のはじめに選ばされたという方、あるいは、今現在それに悩んでいる方もあるのではと思います。

私の個人的な意見としては、文系科目も理系科目もどちらもしっかり学ぶべきだというものです。

高校で、どちらかを選ばされるとしても、そんなことは関係なく、両方の教科・科目をしっかり学ぶべきだと思います。

すでに大学で学んでいる人も、自分が文系だの理系だのと意識は捨てて、両方をしっかりと学んでください。

興味関心のある分野が、自然であろうが人間や社会であろうが、数学も外国語も、そのほかの科目もどん欲に学んでほしいと、私は思います。

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