ネット上でよく使われる語で、私が気になる語に、社畜と老害があります。
社畜には自嘲的響き、老害には怨念が込められた響きを感じます。
どちらも、今の時代に生きる人間の閉塞感を表していると思われます。
ここでは、「社畜」について書きます。
社畜は、「会社」と「家畜」を組み合わせて作られたことばです。
会社員が、給料をもらうかわりに、物理的にも精神的にもしばられ、飼い慣らされ、ある意味で奴隷のようなあり方を、皮肉を込めて表現していることばとして使われています。
昭和の猛烈社員や企業戦士と比べると、もはや人間ではない「畜生」と同じであるという点で、ショッキングなことばではあります。
社畜は、長時間労働に耐え、それがサービス残業であっても耐え、上司にはひたすら従順で、おのれの私生活は捨てて、ただただ会社のために働き続ける人という意味合いで使われています。
ウィキペディアには、
社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤も厭わない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄(やゆ)したものである。
と記述されています。
さらに、ウィキペディアでは、この語は1990年の流行語の一つとも書かれています。(「90年ヒット流行語」『日経流通新聞』1990年12月27日付、20頁)
また、私の手持ちの『現代用語の基礎知識』の電子辞書では、次の記述がありました。
社畜〔社会・生活 1988『20世紀事典』〕
遊びも知らず趣味もなく、会社こそ人生と信じているサラリーマン。
『現代用語の基礎知識1991~2000年版』 自由国民社
社畜は、少なくとも平成のはじめには世間で認知されていたことばであったようです。
ただし、『現代用語の基礎知識』の『20世紀事典』では、「奴隷的」というよりは「くそまじめ」に会社の仕事をし、「視野が狭い」というようなニュアンスを感じます。1988年頃と今とは、ほんの少し意味合いが異なっていたのかもしれません。
ただ、初出の用例が書かれた文献にあたっていないので、私には本来の意味がどうであったか何とも言えません。
また、ウィキペディアでは、この語は、安土敏(本名 荒井伸也)氏が考案し、評論家の佐高信氏が広めたことが書かれてあります。
安土氏は、小説家であるとともに、元「サミット株式会社」社長、元「オール日本スーパーマーケット協会」会長等を歴任された方です。
安土氏が1937年(昭和12年)生まれ、佐高氏が1945年(昭和20年)生まれです。それぞれ現在、80歳代、70歳代の方々です。社畜という語は、それなりの長い年月を経て定着してきたことばと言えそうです。
「社畜」に似たことばとして、先にも挙げた「猛烈社員」や「企業戦士」という語があります。これらは今ではあまり使われなくなりました。これらの語には勇ましさが感じられ、ネガティブな響きよりはポジティブな響きがありました。
これに対して、「社畜」には、人間の尊厳が否定された悲しい響きがあります。
社畜が流行語となっていた1990年頃は、まだバブル景気の時代でしたので、企業戦士という語が現役だった時代と重なります。栄養ドリンク「リゲイン」のコマーシャルで使われた「24時間戦えますか」というキャッチフレーズのテレビCMが流れていた時代です。
企業戦士と社畜は、今から見ると、表と裏、陽と陰という関係にあったと言えるのかもしれません。
しかし、バブル崩壊後、「失われた**年」が10年、20年となり、30年も目前なのかもしれません。その中で、企業戦士は忘れられたことばとなり、社畜は生き残っていきました。
この差は何なのでしょうか。一つには好況下と不況下の勤め人がおかれた状態の違いにあるのではないかと思います。
労働市場が、売り手市場か買い手市場かで、経営者の立場と求職者の立場は大きく変わります。もともと、求職者の立場は雇ってもらう方ですから、基本的には弱い立場です。それでも、採用されやすさという点では、売り手市場か買い手市場かで大きく異なります。
売り手市場で就職し、その後も景気がよければ、会社の業績もよく、職場の雰囲気も明るいでしょう。給料もボーナスも上がり、働きがいも感じやすいでしょう。仮に24時間働いても、それによってどんどん会社の業績が上がり、収入も増えれば、苦に感じることは少なくなります。
しかし、不況下ならば、買い手市場で、そもそも就職にも苦労します。やっと採用されて仕事に就いても、好況下とは職場の雰囲気も異なるでしょう。
会社には重い空気がよどんでいるかもしれません。いくらがんばっても会社の業績は上がりません。それでも、もっとがんばれと上司から責められます。とても定時に帰ることなどできないので、夜遅くまで残業してがんばります。しかし、会社の業績が悪いので、給料も上がらず、下手をすればボーナスの支給がない、挙げ句の果てにリストラされるという事態もあり得ます。
こうなると、いったい何のために一生懸命働いているのかと疑問も湧き、やる気もしだいに失われていきます。しかし、この会社を辞めると、他によい就職先があるわけではないので、ここでがんばるしかありません。上司の言うことには黙って従い、ひたすら我慢して働き続けます。
こうして、好況下の企業戦士が、不況下の社畜に変貌していったとも言えるのかもしれません。