ビジネスとテクノロジーに哲学は役に立つでしょうか

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私は人文系の学問に関心をもっていますが、それは個人的な趣味にしか過ぎません。愛好家としてそれを楽しむ程度です。しかし、それらが実学でない「虚学」として、多くの人から無視されるのは寂しいと思っています。

そんな思いをもつ中で、経済誌が哲学の特集をしているとの広告を見て、思わず買ってしまいました。

すでにバックナンバーになってしまいましたが、その経済誌は『週刊ダイヤモンド』(2019 6/8)です。「仕事に必須の思考ツール 使える哲学」という特集が組まれていました。本当に仕事の現場で哲学が役に立つのだろうかと思いながら読みました。

哲学を学ぶような人は変人だというイメージがあるかもしれません。

あるいは、どうでもよい問題を小難しく理屈をこねるだけの学問を研究する者など、穀潰(ごくつぶ)しにすぎないと思う人も多いでしょう。

しかし、人文分野の学問への世間からの風当たりがきつい昨今にあって、現実社会においてこういう哲学の役立て方があるんだということを、この特集から学べたように感じています。


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『週刊ダイヤモンド』の特集の内容

特集のプロローグとして、アメリカには投資家や起業家にも哲学の学位をもつ人が少なからずいること、新卒からミドルキャリアまでの年収の伸び率は、数学と並んでトップ、MBA志望者で入学適性試験の成績が文系学部卒者では最強などということが書かれています。

アメリカではそんなこともあるのかもしれないなと思いました。日本と欧米では、哲学という学問の社会的な評価がそもそも違います。日本では中等教育で哲学という科目はありませんし、せいぜい昔の「倫理・社会」や今の「倫理」がある程度です。

しかし、学部や大学院で哲学を専攻した人が、専門の学者や教師になるような道以外でそれなりの成功しているということは興味深いと思いました。

この特集では次の内容が扱われています。

「Prologue」なぜ哲学がビジネスに必要なのか
「Part 1」ゼロから始める哲学的思考入門
「Part 2」大図解と物語でマスター 教養としての哲学
「Part 3」「哲学活用」のビジネス現場
「Part 4」AI、バイオテクノロジー… 現代の難問を哲学する
「Epilogue」バカロレア「哲学」試験に挑戦!

『週刊ダイヤモンド』(2019 6/8)ダイヤモンド社

なぜ哲学がビジネスに必要かという話から始まり、哲学的思考についての解説、哲学史の簡潔な解説、東洋思想・日本思想の概略、ビジネス現場への「哲学シンキング」の導入、最新の哲学がどんなことを問題にしているか、バイオテクノロジーの倫理的問題や人工知能開発における哲学的問題、フランスのバカロレアの「哲学」の問題等、幅広い内容が22ページから89ページまで、70ページ近く展開されています。

この特集で、特に私の関心をひいたのは、クロス・フィロソフィーズ株式会社(http://c-philos.com)が事業として実践する「哲学シンキング」でした。

これは、特定のテーマについて、問いを立てることに主眼を置き、複数の人間で考えていくという方法です。哲学シンキングのしかたや、これを会社の事業としてどんな成果をあげているかの事例が紹介されています。

アメリカでは、哲学の学位をもつ人が、哲学的な方法を活用するためのコンサルタントとして開業していることが書かれています。日本でも、このようなクロス・フィロソフィーズの事業活動が、クライアントの企業から評価されているのは、たいへん興味深いことです。哲学が役に立つ学問として、世間からの評価を得る可能性を感じたりもしました。

哲学が役に立つとすれば、それはどういう形で役に立つのでしょう。

哲学的思考の可能性

哲学的問いが役に立つ?

哲学は、問いを立てることから始まり、問い続けることに特徴があります。(もちろん問いに答えようとすることも当然のことですが。)

いうまでもなく、あらゆる学問は問いを立てることから始まります。しかし、多くの学問の問いは、何らかの前提から出発します。たとえば、自然科学ならば、ここに物体が存在していることが前提として問いが立てられます。

初歩的な自然科学の問いならば、この物体は何の分子から成り立っているかとか、この物体の重さや大きさはいくらあるかとかいう問いです。このとき、この物体の存在そのものはすでに前提されています。

哲学は、ここに物体が存在していることそのこと自体を問います。たとえば、次のような問いです。

そもそも物体とは何か。存在とは何か。この物体がここにあることをどのようにして知ることができるのか。そもそも認識しているとはどういうことか。認識している私とは何か。認識していると思っている私は、本当にそれを正しく認識しているのか。他者と私は、それを本当に同じものとして認識しているのか、等々。

多くの人は、このような問いは思考を混乱させるだけで、有益ではないと考えるでしょう。

「哲学シンキング」では、テーマに関して、皆で問いを出し合っていきます。これによって、問題の本質がしだいに明らかになるとされます。おそらくは、次のようなことなのだろうと思います。

これはどういうことなのだろうという、漠然としていた疑問があったとします。哲学的に問い続けていると、その漠然とした疑問には、この問題とこの問題とこの問題が含まれているということが見えてきます。問題がどういう問題か、問題のありかがどこか、何を解明すればその疑問に答えられるかが明らかになってくるということです。たとえ、完全に答えられなくても、問題の本質が見えてくれば、大きな進步が得られます。

ものごとがわかることは、「何が問題なのかわからなかった」状態から、「何が問題なのかがわかった」ということから始まります。何が問題なのかがわかれば、その問題の答えを導くこともはじめて可能になります。

ものごとを解決するためには、問いを立てることが重要な出発点です。すでに定石のような解決策があるのなら、その通りにすればよいでしょう。しかし、定石やマニュアルがない新しい問題は、今からこの場で、自分で(自分たちで)解決策を考えるしかありません。そのとき、この問題がどのような問題から成り立っているかを問い直すことが必要になります。そういう問いを発して思考をすることがは、新しい問題を解決するために有益です。

テクノロジーと哲学

今の時代は、あらゆるものが激しく変化し続けています。世界全体をヒト・モノ・カネに加えて情報が大量に動き回るグローバル化の時代でもあります。人間生活のあらゆる局面で、今までなかったような新しい問題が、次々と生まれています。

つくることによる問題解決とその限界

現実の社会を生きていく上で、テクノロジーが大いに役に立つことは明らかです。特に産業革命以来、蒸気機関からはじまり、電気の活用がどれほど人々の暮らしを変えたことでしょう。

こんなものがあれば便利だろう、こんなことができれば、どれだけよいだろうか、などという思いはだれにでもあります。これを現実のものにするのは、テクノロジーです。実際に、テクノロジーの力はこれを実現してきました。

生活を実際に改善するために、工学的取り組みが行われ、成果をあげてきました。工学だけでなく、医学や薬学や農学も、いままでなかったものを創る、できなかったことをできるようにすることで、社会に貢献してきました。これを広義の工学と呼ぶなら、この工学的手法は、とても大きな力をもつものと考えることができます。

たとえば、自動車はテクノロジーの所産ですが、そのために交通事故が起こるようになりました。交通事故をどのように減らすかという問題に対してとるべき方法に、工学的手法がたいへん有効です。道路の構造や道路標識・標示の改良、信号機の効果的な設置や、自動車に新技術を投入し改良を加えることは工学的手法による解決です。

しかし、工学的手法だけでは解決できない問題が起こった場合は、工学とは別の視点から解決策を考えなくてはなりません。

バイオテクノロジーと哲学

『週刊ダイヤモンド』の特集記事には、バイオテクノロジーの倫理的問題や、AI(人工知能)と哲学について取り上げられています。

バイオテクノロジーには、機械を作るのとは違う倫理的問題が生じます。バイオテクノロジーが作るものには生命体が関わります。たとえば、人間のクローンを作ったり、人間の遺伝子を操作して、ある病気に強い遺伝子をもった人間を作ることも可能です。遺伝子組み替え技術で新種の動植物を創ることも、倫理的問題が関わってくるでしょう。

工学的手法で問題を解決することは、通常は善であるとみなされます。しかし、安易に善とみなされない問題があるときには、哲学的思考が必要になります。

倫理的問題は、科学的方法だけではどうしても解決できない問題が残ります。科学はどのようにあるかは認識できても、どのようにあるべきか、どのようにあるべきでないかという問題を導くことができません。

倫理的問題に含まれる、善いか悪いかという価値的問題は、今のところは哲学的に考えることによって解いていくしか方法がありません。

AIと哲学

また、AI(人工知能)について、開発者の立場から書かれた三宅陽一郞氏の「人工知能開発に不可欠な哲学」という記事があります。特に「汎用型人工知能」(狭義の人工知能)を作るためには、技術的な問題だけではなく、哲学的な問題も無視できないことが書かれています。

「人工知能とは何か」という問いへの答え、すなわち人工知能の明確な定義はまだないということがあります。この問いに答えるためには「知能とは何か」という問いに答えなければなりません。しかし、三宅氏によると、この「本質的な問いの答え」がまだ明確になっていないというのです。

人工知能という学問の最大の特徴は「基礎がない」という点だ。つまり、「知能とは何か」という基礎が分かれば、数学的に理論を構築できるが、それがあいまいであるため、ど真ん中の問いを保留して、応用として周辺の知的機能や技術にばかり傾注している。

三宅陽一郞 「人工知能開発に不可欠な哲学」

『週刊ダイヤモンド』(2019 6/8)ダイヤモンド社 p.83

人工知能研究の世界では、最近になって、ようやく「知能とは何か」という問いに向かって探究が進み始めたということです。

人工知能は、今、世間から大いに注目されています。囲碁や将棋などでプロ棋士に勝利したり、機械翻訳でも、かつてのおかしな翻訳文に比べて、はるかに優れた翻訳文を出力してくれるようになりました。

数十年前に比べると、近年のAI技術が目に見えて進歩したと、一般人にも知らしめられています。人工知能への期待が高まるのは当然のことでしょう。

しかし、AI技術の究極目標が、汎用型人工知能であるならば、まだまだ研究は端緒についたばかりと言うべきなのでしょう。

汎用型人工知能は、論理的に何らかの結論を導き出すだけの人工知能ではなく、人間と同じような心(精神)をもつような人工知能であることが求められます。

人間の精神は、論理的思考能力だけではなく、感情や欲望などとも関わります。また、精神は、脳だけではなく、感覚器官や四肢や内臓その他の肉体全般と関わっています。それらがさまざまな経験をし、ものごとを感じとり、考えたりしながら精神が形成されています。

この人間の精神と同じ能力を持つ人工知能をつくるためには、人間のように自分で考え、行為し、感じ、知り、反省し、判断するなど、人間の精神活動と同じことができるようにしなければなりません。

デカルト的な物心二元論に立っていては、汎用型人工知能はつくることができないとの趣旨を三宅氏は述べています。

この研究には、ものをつくるという工学的な研究だけではなく、認知科学の研究も大いに関係します。さらに、「人間とは何か」という問いへの哲学的な探究も関わります。

AIの研究は、技術的に解決できればそれで完成するというところには、まだ至っていないようです。そのために、人工知能の本質についての問いを立てて、答えを求めることが必要になります。

三宅陽一郞氏は、

この500年間に細分化してきた学問を、人工知能の本質に向けてもう一度知識を集約していくことが必要になるだろう。全学問の再集結点でもある

『週刊ダイヤモンド』(2019 6/8)ダイヤモンド社 p.84~85

と述べられています。

人工知能は、人類の知的営みの成果のすべてを取り込むことによって、完成できるということになるのでしょう。

経験科学・実証科学は、哲学から分離して独立してきたという歴史があります。人工知能の研究は、今度はその分離・独立してきたものを、再集結する研究ということになるようです。

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、「万学の祖」と言われます。人工知能研究は、汎用型人工知能の完成に向けて、アリストテレスの後に分化した「万学」をとりまとめることになるのかもしれません。

万学をとりまとめるためには、総合的な視野が必要になります。これもまた、哲学的なものの見方に属するものです。これからの人工知能の研究者は、工学的思考だけではなく、哲学的思考も求められるということになるというのが、この記事から読み取れます。

結び

これから世の中はどう変わっていくのでしょうか。新しい技術が次々と生まれ、私たちの生活も短期間のうちに変化していきます。

世界でおこることや国内でおこることは、よいことでも悪いことでも、思ってもみなかったようなことが、次々とおこっています。

政治の運営も、企業の経営も、庶民の暮らしも、今までどおりの仕方では通用しなくなっているようにも思います。

この先、世の中はどうなるのだろうという不安をいだくことも、少なからぬ人々にあるのではないでしょうか。

今のような時代を生きぬくためには、情報を集めてしっかりと判断していかなくてはなりません。しかし、玉石混淆の大量の情報をどのように取捨選択するかという方法を確立することも必要になります。

また、ネットで検索しても出てこないような、まだ情報として存在していないものもあるでしょう。このときは、他の情報を参考にしながら、自分で考えなくてはなりません。

自分で、あるいは自分たちでものを考えようとするとき、ものの考え方の方法を身につけることが必要になります。

情報の吟味や思考の方法は、哲学を学ぶことが参考になります。哲学者の用いた方法やその学説が、答えを直接に教えてくれることは必ずしも期待できません。しかし、彼らがさまざまな問題を問い、それについて考えたことを追うことで、私たちは多くのことを学べるものと思います。

哲学は、哲「学」と「学」がついていますが、源流にあたる古代ギリシアでの意味は、「知恵を愛すること」でした。哲学は、物理学や生物学のような「何々についての理論を組み立てる学」というよりは、「何についても、疑い、吟味し、反省しながら知恵を愛し求めること」あるいは「知恵を愛し求めるがゆえに、何についても疑い、吟味し、反省すること」というべき分野です。

確かに、世の中には哲学の博士号をもっているような専門家がいるわけですが、哲学することは、哲学の専門家だけの独占業務ではありません。すべての人ができるものです。だれもが何かを考えて生きている以上、いつでも哲学者になりうると思います。

そして、その哲学することが、だれにとっても、自分がかかえる現実の問題へ立ち向かうための力になりうる、と言えるのではないかと思います。ここで取り上げた特集記事から、私は、このことを学べたように思っています。




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