新語・流行語大賞の候補に、「アウフヘーベン」が入っているらしいですね。大賞をとるのは厳しいかなと思いますが、ドイツ語の単語が候補に挙がるのはめずらしいなと思います。
ドイツ語のアウフヘーベンの意味
ドイツ語のaufheben(名詞はAufheben)は、哲学用語として「止揚](しよう)や「揚棄」(ようき)と訳されますが、これでは意味がわかりわかりにくいですね。
aufhebenは、ドイツでは日常的に使われる動詞で、意味の広い動詞です。heben(上げる)という動詞とauf(上へ、上に)という「前つづり」からなる分離動詞といわれる動詞です。
もとの意味に反して、解除するとか廃止するとか、廃棄するという意味と、もとの意味らしい拾う、拾い上げる、持ち上げるといういろいろな意味があります。
『ハイブリッド アクセス独和辞典』(三修社)によると、次の説明があります。
【1】〔…を〕持ち上げる,拾い上げる
【2】〔…を〕助け起こす
【3】〔…を〕保管する,取っておく
【4】〔契約を〕破棄する,〔法令・制度などを〕廃止する
【5】(文語)〔会議などを〕解散する,終結させる
【6】〔…を〕相殺する,帳消しにする
【7】(哲学)〔…を〕止揚する引用者により割愛部分あり
『ハイブリッド アクセス独和辞典』三修社 2001年
分離動詞についてはドイツ語文法に関する解説のページがネット上にたくさんありますので、ググってみてください。
英語では、動詞と前置詞や副詞などがセットになって独特の意味を持つイディオムがたくさんありますね。ドイツ語の分離動詞(非分離動詞もあります)もそれに似ています。基本的な動詞に前置詞などがくっついて、独特の意味になる動詞です。
たとえば、英語の イディオムの take out と take offは、よく似ているとはいえ、意味が若干違いますね。
take out は、「取り出す」や「連れ出す」という意味があります。私たちには、ハンバーガーやドーナツなどを店で食べないで「持ち帰る」意味が一番なじみ深いかもしれません。
take off は、帽子や靴を「脱ぐ」とか飛行機が「離陸する」でよく見る熟語です。
それぞれの熟語でも、意味がいろいろあります。手持ちの研究社の『英和中辞典』では、take out で8つの意味、take off で14の意味があげられています。
話がそれましたが、aufhebenもその類です。上の『アクセス独和辞典』でも7つの意味があげられています。
哲学用語の「止揚」や「揚棄」という訳語は、字だけみても何のこっちゃという感じですが、もとの意味に含まれている「廃止する」という意味と「持ち上げる」という意味をうまく組み合わせた翻訳語です。
哲学用語としてのアウフヘーベン
それでは、哲学用語としてのアウフヘーベンはどんな意味があるのでしょうか。
これは、多くの方がご存知でしょうが、ドイツの哲学者ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)の用語です。
論理と弁証法
論理というと、三段論法で有名な古代ギリシアのアリストテレスの論理学や、現代の記号論理学が一般的です。推理(推論)したり、証明(論証)したりするための正しいルールを明らかにする学問です。
たとえば、典型的な三段論法の例としてよくあげられるのは次のものです。
1「すべての人間は死ぬ」 大前提
2「ソクラテスは人間である」 小前提
3「ゆえにソクラテスは死ぬ」 結論
2つの前提から、1つの結論を導くという推理のあり方を示しています。1と2が真であれば、3も論理的に真であるということがいえるわけです。(あくまでも論理的に真ということで、1と2と3が事実かどうかは、別の話です)
ヘーゲルは、このような形式的な論理ではなく、ものごとの変化や発展をとらえるような論理を考えました。これが「弁証法(Dialektik,ドイツ語)」です。
弁証法の根源は、ソクラテスが古代のアテネの広場などで人々と対話・問答したことにあります。ソクラテスの対話・問答は、相手に無知を自覚させることに主眼があったといえるかもしれません。しかし、対話には、異なる意見の対立を経て、新しい見地に至るという積極的側面もあります。哲学の方法としての対話・問答は、対話法や問答法(ディアレクティケー)と呼ばれます。
AさんとBさんが対話をしていて、意見の対立があったときを考えてみてください。二人が喧嘩して終わるのではなく、互いが持論を主張して話し合った結果、二人の対立を超えて新しい見方が二人の間で見いだされる可能性がありますね。
現実の政治の世界などでは、熟議を経て何かが決定されるというよりは、ただただ平行線で、対立したまま議論が終わってしまうことが多いです。後は、多数決で法案が可決されることもよくあります。
そういう意味では、積極的な対話、創造的な対話の成立を求めることは、理想論ということになるかもしれません。
しかし、対話・問答という限られた範囲で考えるのではなく、現実の世界の事象のすべてにまで広げてみたらどうなるでしょうか。
現実の世界には相矛盾することが多々あります。この矛盾・対立するものごとが、そのまま平行線で永遠に維持されることはまずないのではないでしょうか。
「万物は流転する」と、ソクラテスよりも前の時代のヘラクレイトスが言ったと伝えられています。また、古代インドでは、ブッダが「諸行無常」を説いたといわれています。
時間とともに、ものごとは変化します。ヘーゲルの弁証法は、この変化をとらえる論理あるいは法則として主張されたものであるともいえます。
ヘーゲルの弁証法
ヘーゲルの弁証法は、世界のあらゆることが弁証法でみることができるというものです。
弁証法を単純に説明すると、次のようになります。
ジンテーゼ(合・総合)
↑ アウフヘーベン(止揚)
テーゼ(正・定立)←→ アンチテーゼ(反・反定立)
あることがら(テーゼ)(「正」とか「定立」と訳されます)に対して、それに対立・矛盾することがら(アンチ・テーゼ)(「反」とか「反定立」と訳されます)が存在(あるいは登場)します。
これらの対立するものごとは、やがてその対立を乗り越えて、新しい境地であるジン・テーゼ(「合」とか「総合」「統合」と訳されます)に到達します。これがアウフヘーベン(止揚)です。
ものごとの変化については、つぼみから花、果実へと至る過程も、弁証法で説明されます。
ある植物は、はじめはつぼみでしたが、後につぼみが花になります。やがて、花がしおれ、果実が実ります。
言い方を変えると、つぼみは、つぼみであることを否定し、花になります。しかし、その花も花であることが否定されて、果実になります。これについては、次の図で示すことができそうです。
果実
↑ アウフヘーベン(止揚)
つぼみ ←→ 花
ヘーゲルは、精神の本質である自由を実現する方向に向かって、歴史が弁証法的に発展すると考えました。あるいは、歴史は自由を実現する過程と考えました。この発展過程を説明する法則が弁証法でもありました。
この考え方が正しいか否かはここでは保留しておきます。また、弁証法が本当に論理や法則といえるのかも保留します。
ただ、さまざまなできごとや事象に対して、それをどうとらえるかとか、これからの変化を予測するための思考の方法として、一定の役に立つものではないかと、私は思っています。
たとえば、イノベーション(技術革新)が起こったとき、それはアウフヘーベンではないかと思うことがあります。スマートフォンの登場は、それまでのパソコンの発展と携帯電話の発展なしにはあり得なかったと思われます。
スマホ
↑ アウフヘーベン(止揚)
パソコン ←→ ガラケー
小池東京都知事は、築地市場の豊洲への移転問題について、アウフヘーベンということばを使いました。現状の築地と移転する豊洲という2つについて、築地にとどまり豊洲には移転しないという考えと、築地から豊洲に全面移転するという考えが成り立ちます。
しかし、この、相対立する2つを、二者択一ではなく、別の道を探りたいとしたら、築地も有効活用し、豊洲にも移転するという案が出てきます。小池知事は、これをアウフヘーベンと表現したというわけです。
豊洲と築地のより良いしかたでの活用
↑ アウフヘーベン(止揚)
築地 ←→ 豊洲
果たしてこの問題がどのような決着をみるかはわかりません。できるだけ市場の関係者や仕入れに行かれる業者さん方や、さらには観光客にとって、よい形が実現してほしいと思います。
もちろん、この正・反・合が一度だけで終わるわけではありません。これが、いくつも重ねられて、発展していくわけです。最終的には、築地でもない豊洲でもない別の場所に決定するということもあり得ます。
結び
弁証法は、自然や社会や個人のあらゆることに適用できます。社会の発展だけでなく、ある一人の人間が、どのように成長し人生を生きていくかなど、いろいろな角度から弁証法的にものごとをとらえることができます。
弁証法には批判もあります。科学的とはいえないと思われる方も多いでしょう。
しかし、たとえば、まだないものを新たに創造するための思考の方法として、これを私たちは利用できるのではないでしょうか。また、自分の人生で選択や決断が必要なときに、いまある選択肢をアウフヘーベンして、より良い方向を見いだすというような使い方もできるように思います。
そういう意味では、単に過去の学説として片づけるのではなく、今を生きる私たちが応用して使ってみることもありかなと思います。