時間はどんどんと流れていきます。そして、今ここにあるものもすぐに古くなってしまいます。
古いものは価値がなく、新しいものにこそ価値があるということが、より鮮明になっているのが今の時代です。
新しさの価値
かつては、経年劣化か流行の変化によってものが古くなるだけでした。今でも、エアコンや冷蔵庫のような家電製品は壊れるまで使えます。(省エネ性能は向上していますので、まだ使えても、電気代節約のために買い換える人もありますが)
しかし、今のデジタル機器については、見た目は新品のようにきれいであっても、仕様が古いとか新しい周辺機器やソフトウェアに対応できていないために古いものになってしまいます。
一般に価格が高い商品は、長持ちします。中には一生使えるようなものもあります。しかし、デジタル機器はいくら高いものでも寿命は本当に短いといわざるを得ません。
今では、人間もすぐに「古く」なります。今、50代・60代の方々も、20代だったころ、パソコンを使えない上の世代を、若気の至りとはいえ、古い人たちだと感じたことがあったのではないでしょうか。
時代は繰り返し、今の20代の世代は、自分たちはゲームもスマホもネットも、上の世代に比べたらはるかにうまく使いこなしていると優越感をいだいていることでしょう。
デジタル機器に象徴されるように、今では、社会の変化がますます激しくなりました。企業も絶えず迅速に経営戦略を練り直さなければ、時代の流れについて行けなくなります。企業や一つの事業の寿命も、高度成長期よりも短くなってきているのではないでしょうか。
過去の成功体験だけにしがみつくのではやっていけません。絶えず時代の流れを先読みしながら、新しい戦略を立て実行していくことが、企業にも個人に求められていることは、常識になっています。
新しいものがよくて古いものはダメなものという感覚は多くの人にあると思います。
たとえば、昔は貧しかったが今は豊かになったとか、昔は権利が制限されていたが今は権利が広がった等、社会的な面で今の方がよいと感じている人は多いでしょう。
また、技術の進歩で、新しい便利なものが使えるようになったり、より安い価格で手に入るようになったことは、だれもがよいことだと感じると思います。
古いものの価値
ところが一方で、古いもので価値が出るものもあります。古美術品や昔のおもちゃなど、今ではもう作られないけれども美的な価値があるものがそうです。
海外から安い商品が入ってきたために、国内ではほとんど生産されなくなったものもあります。
たとえば、浮世絵は江戸時代の大衆向けに作られた大量生産の商品でした。明治時代に入ってからは次第に衰退し、やがて滅びました。明治の人々には、それらは古くて価値がないものと思われたことでしょう。
しかし、浮世絵自体やその版木は、その価値を見いだした外国人によってたくさん買われ、それらが美術館で保存されたおかげで残っている作品がたくさんあります。
現代では、江戸時代の浮世絵はもう作られないでしょう。古い版木で刷り直すことはあっても、同じような画風で原画が描かれ、木版で印刷され、商品化されることはないと思われます。
しかし、現代の摺り師によってあらたに刷り直されたり、デジタル画像処理技術で、変色した古い浮世絵を発売当時の鮮やかな色に復元することは行われています。
電子部品としての真空管は、かつてはテレビにもラジオにも当たり前のように使われていましたが、もはや国内では生産されていないようです。
しかし、オーディオマニアで管球式アンプの音を愛する人は多く、高価なアンプが生産されています。すでに、電子部品としての必需品という地位を失った真空管ですが、特別な需要によって生き続けています。
ほとんど滅びていたアナログ・レコードの生産量も増えてきて、レコード・プレーヤーも一般向けの普及品が増えてきました。昔を懐かしむ古い世代だけではなく、若い世代でもアナログ盤を買う人がいるようです。
CDよりもはるかに情報量の多いハイレゾ音源も普及してきました。しかし、アナログ盤の音が好きだという人も少なからずいるということは、古い技術だからすべてダメだと思わない人がいるということを意味していると思います。
古いものでも自分にとって良いと感じられるものならば、人は評価するということです。
たとえば、クラシック音楽は、作曲された時代が古くても、それぞれの時代の指揮者と演奏家が、それぞれ作品と向き合って演奏しています。古い作品も演奏のたびにたえず新しいものとしてよみがえっているといえます。
古いものは、単に古いだけなのではなく、その後の時代の人々が新鮮なものとして感じることで、あらためて生き返るものだと思います。
結論 古いものから学ぶべきこと
私自身も、新しいものこそが最もよいものという考えをもっていました。今までにない可能性を秘めたものこそ、これから切り拓いていく価値のあるものという思いがあったのです。
だんだんと年を重ねていくと、かつては新しかったものが、今では陳腐化しているものが増えてしまいました。
商品であれ、学説であれ、芸術作品であれ、ある時点では革命的なほど斬新ですばらしいものであったとしても、また、次に新しいものが出てくることで、過去のものになってしまうのをいろいろと見てきました。新しかったものも、その新しさはすぐに失われてしまうということです。
新品商品も消費者の手に渡ったときから中古品になってしまう(未開封での返品は除きます)のと同様に、すべての新しいものは、それが世に出た瞬間に過去のものになり始めます。
私たちもまた、時間の流れの中に生きているものとして、今という瞬間はすぐに過去になり、未来も現在となりすぐに過去になることから逃げることはできません。
時間は、よいものとそうでないものを選り分け、淘汰していきます。本当に価値ある芸術作品は時代を超えて人々の心を惹きつけます。
そこには何らかの普遍性があるのでしょう。普遍的なものが本当にあるのかどうかわかりません。しかし、時代の変化に耐えるような何かはあるのかもしれません。
人間は、単なるものとは異なり、肉体的には老化しても、心では何かをめざしたり、そのために努力したりします。
生きるということは、古いものに学びながら、新しいものを求め続けていくことと思うようになりました。
私たちが古いものから学ぶべきことは、時代を超えるだけの何ものかを見いだすことではないかと思えます。