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目次
文科系と理科系は便宜的な分け方だと思います
高校では、文系コースとか理系コースに別れるところが多いと思います。
これは、大学の入試科目が、文科系学部と理科系学部で異なっているためです。大学としては、専攻科目を学ぶのに必要な学力をそなえた学生をとりたいということが、当然にあるでしょう。
このため、さらに細分化して、私立文系、私立理系、国立文系、国立理系、医歯系などに分ける高校もあるでしょう。これは、入試を乗り切るためには必要科目を重点的に勉強した方が効率がよいという、便宜的なものだと思います。
そもそも人間に文系・理系の区別があるはずもありません。
しかし、好きか嫌いか、興味があるかないか、得意か不得意かという点では、個人差があります。数学が嫌いだとか、苦手だという人は多いですし、歴史のような暗記科目は嫌いだ・苦手だという人も多いでしょう。
とはいえ、難関国立大学や国公立医学部・歯学部をめざす人は、得意科目はあっても、苦手科目をつくることは許されません。好きとか嫌いとかいう好みを超えて、すべての入試科目で高得点をとるように努力するしかありません。この努力は決して損ではないと思いますが。
ところで、文系・理系のそれぞれの学部に進んで、就職したらその後の人生はどうなるのでしょう。
文系の人は営業や経理や総務・人事などの事務系の職種につき、理系の人は研究者や技術者になるでしょう。それぞれ自分の適性に合う仕事ができてハッピーということになります。
しかし、一生それでいけるかどうかはわかりません。文系の人が明日からエンジニアになれと命令されることはないでしょうが、それでも、仕事に必要なプログラムの開発プロジェクトに参加するよう命じられることはあり得ます。
また、技術職を歩んできた人が、管理職となり、取締役になり、社長になったとしたら、技術の現場の仕事から離れることになります。管理や経営の仕事はどちらかというと文系の仕事です。
文系と理系の違いは、大学時代のそれぞれの専門分野の違いであり、一生をそれで終えるかどうかは別問題です。長い人生では、学校を出てから学ぶことの方が多いのです。
英語での文科系・理科系とは
和英辞典を引くと、文科系はarts、理科系はsciencesです。この違いは何でしょう。
ネットの英英辞典 Cambridge Dictionary(ケンブリッジ・ディクショナリー)では、artsが次のように説明されています。
subjects, such as history, languages, and literature, that are not scientific subjects:
歴史、言語学、文学のような科目で、科学的ではない科目
Cambridge Dictionary https://dictionary.cambridge.org/
(ケンブリッジ大学出版局)
同じ辞書から、scienceは、次の通りです。
(knowledge from) the careful study of the structure and behaviour of the physical world, especially by watching, measuring, and doing experiments, and the development of theories to describe the results of these activities:
物理世界の構造と動きを注意深く研究すること(で得られた知識)。特に、観察、測定、実験することによって、これらの活動の結果を記述するための理論を開発するもの。
Cambridge Dictionary https://dictionary.cambridge.org/
(ケンブリッジ大学出版局)
※日本語訳はクマゾウの拙訳です(以下同様)。間違っていたらご指摘ください。
上記で見ると、artsは科学以外の科目を指し、scienseは、実験・観察により理論を作り上げる実証的な科目を指すということになります。
このartsとscienceの分け方は、研究対象よりも、研究方法を基準にしているというべきです。
日本では、文科系の科目の中に経済学や心理学や社会学が含まれます。しかし、これらは、研究方法からするとscienceに含まれます。日本語の文科系・理科系という分類は、研究方法よりも、人間や社会を研究対象とするか、自然を研究対象とするかによって分けられています。私たちがこの日本で使う文科系・理科系という区別も、世界からみるとガラパゴス的といわれるかもしれません。
ただし、歴史については、ケンブリッジ・ディクショナリーのサイトで引くと、artsともscienceとも書かれていませんでした。
(the study of or a record of) past events (後略)
過去のできごと(についての研究または記録)
Cambridge Dictionary https://dictionary.cambridge.org/
(ケンブリッジ大学出版局)
しかし、社会科学(social science)の説明には、歴史も含められています。
the study of society and the way people live; the subjects connected with this, for example history, economics, etc.
社会と、人々の生活の仕方の研究。これに関連する科目、例えば歴史学、経済学など
Cambridge Dictionary https://dictionary.cambridge.org/
(ケンブリッジ大学出版局)
こちらは、社会科学に歴史学が具体例としてあげてあります。ということは、先のartsの例としてあげられていた歴史学は同時にsienceなのでしょうか。この点は、ちょっと悩むところではあります。
ともかく、現代の英語(米語)では、日本語での文科系・理科系とは差異があることは見て取ることができると思います。
リベラル・アーツと文科系・理科系
lafayette college
文科系のartsという語はどこから来ているのでしょう。
英語のartは、一般的にはまず芸術と訳されます。アーティストは芸術家や美術家を意味することが普通だと、だれもが思うでしょう。また、技術という意味もあります。おおもとはギリシア語のテクネーから来ています。つまり、人間が人工的に何かをつくるというような技術です。この意味からすると、artsが文科系を表すというのは納得できそうにありません。
しかし、少なくとも現代の英語では、日本語の文科系に近い意味でartsが使われています。
そして、先の英英辞典でも、artではなく複数形のartsで使われていたことから、私はリベラル・アーツということばを連想します。(あくまでも個人的な連想に過ぎません)
リベラル・アーツとは何でしょう。
西洋の中世に起源をもつ諸学科です。古代ローマ人のことばラテン語では、artes liberalesと呼ばれました。自由学芸とか自由七科と訳されます。今の大学の一般教養課程や一般教育科目として、あるいは教養部、教養学部としてなじみのある、また、教員養成系の教育大学や教育学部の前身の学芸大学や学芸学部などの「教養」や「学芸」もリベラル・アーツの翻訳語です。大学によっては文理学部がありますが、これも同様です。
古代のギリシア・ローマには奴隷が肉体労働を担い、それに対して自由な市民がありました。この自由市民が学ぶべき教養として古代ローマに始まり、中世にヨーロッパの教育の中で定着したものです。
自由七科は、文法、修辞学、弁証法(論理学)の三学(trivium トリウィウム, ラテン語)と、算術、幾何学、天文学、音楽の四科(quadrivium クワドリウィウム, ラテン語)からなります。これらの学科の特徴は、応用的な分野ではなく基礎的な分野です。ギリシア語のテクネー由来のartから来ていると考えると、これらは、文科系・理科系を超えた、知性の活動に必要な基礎的技術(知の技法)といういい方もできます。
今の、教養科目よりはかなり狭い範囲です。まだ、今のような自然科学も社会科学もなかった時代です。現代の視点から見ると、三学は言語に関する文科系的分野、四科は理科系的(数学的)分野といえます。(なお、音楽は古代ギリシアのピタゴラス学派によって数学的な法則性が見いだされました。天体の動きと同様、音の世界に数学的な調和があることが古代から認識されてきました。四科に含まれているのはそのためです。)
ヨーロッパでは13世紀に大学が成立しますが、この時代から自由七科は基礎学として重視されていました。
13世紀以降の中世大学では神学、法学、医学の各専門学部への進学課程であった学芸学部の中核的な教科となった。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
中世の大学では、自由七科の上に、神学・法学・医学という専門学科が置かれていました。
今の大学教育でも、この七科という限定はないにせよ、文科系・理科系に限定されない科目が、教養科目として置かれています。そして、それを学んだ上で、専門的な学問を学ぶという点では同じです。
大学におけるリベラル・アーツ教育については、いろいろな問題があるでしょう。教養課程と専門課程を合計4年で学ぶことの是非や、教養課程の教育内容のあり方、専門課程や大学院のあり方など問題は多々あります。ヨーロッパの大学と日本の大学の違い、アメリカの大学と日本の大学との違いなどを比較しても、いろいろな問題点が浮かんできます。これについては、ここでは考えないことにします。
ここでのテーマである、文科系・理科系ということに関しては、リベラル・アーツには古代からそれら両方を含む内容であったことを示しておきたいと思います。学問を学ぶ基礎には、文・理の知識の両方が必要だと、古代から、少なくとも中世の大学でも考えられて来たことです。
近代科学の成立が理科系をつくりました
先の英英辞典からすると、scienceは、近代科学の方法である観察・実験による実証と、数学的定式化による理論の確立ということを特徴としてもっています。私たちが理科系と呼んでいる分野は、この近代科学の方法に従った研究方法をとる学問だといえます。
近代科学はその名の通り、近代に成立した学問です。コペルニクスの地動説、ケプラーの惑星の楕円軌道などのケプラーの法則、ガリレオ=ガリレイの落下の法則、ニュートンの力学などがその代表的成果です。
この時代、自然科学は哲学の一部門でした。ニュートンの著書『自然哲学の数学的原理』(Philosophiae Naturalis Principia Mathematica ラテン語)は、表題の通り「自然哲学」としています。自然哲学や自然学(physica ラテン語)は、自然科学が成立する以前の自然研究の学問の名称でした。
ラテン語のscientiaということばがあります。これは、scienceの直接の語源といえるものです。しかし、中世においてのscientiaは「知識」という程度の意味であり、現代のscienceの意味合いはありませんでした。
近代科学が新しい方法を生み出して、それから徐々にその方法が他の対象に広がり、scienceという分野が成立したのです。これは、哲学から科学が分化・独立していったという風に見ることもできます。
ところで、先に見た中世のリベラル・アーツをまとめたものが哲学でもありました。つまり、神学などの専門的な学問の基礎にある(下位ともいえます)学問として、哲学が位置づけられていました。中世の大学の基礎学部は、先の『日本大百科全書(ニッポニカ)』出てきた学芸学部だけでなく哲学部という呼称もありました。
この哲学の位置づけは、中世の特徴であるともいえます。近代科学が成立した時代には、この中世の哲学観がまだ生きていたのです。中世的な学問の伝統が残っていた時代にあっても、自然科学は、リベラル・アーツを土台として生まれたと見ることもできます。
ルネサンス以降、中世の伝統を引きずりながらも、その中世的なものの見方に縛られない新しい見方・考え方が生まれました。ここから、近代哲学や近代科学が生まれたと、大ざっぱではありますが、いうことができます。リベラル・アーツの力は、古いものを乗り越えるところにもあるようにも思えます。
近代科学は、すでに古代からあった自由七科を発展させて、実験・観察そして理論を構築するための数学を利用するという新しい方法を用いて生まれた学問といえます。現代の理科系という概念は、これ以降に生まれたものということになります。
結論 文科系・理科系の両方の学びが必要かと
文科系と理科系とは、決定的な違いがあるような見方が世の中にはあります。
しかし、人類は、自然の中でどのようにして生き延びるかというために必要な自然の知識の獲得と、人間社会の中でどのように生きるかという知恵の学びとを、それぞれの時代において、活用してきたと思います。
文科系・理科系の違いにこだわるよりも、その二つの領域を自分なりにうまく学んで生きていくことが、これからはますます必要な教養になると思います。
特に、若い人で進路の選択に迷っている人は、文理の垣根を越えて、両方学んでやるというくらいの心意気をもって進んでみてください。あるいは、大学の学部選択に迷っているのなら、教養学部や文理学部という文系・理系の両方を学べる学部もあります。
また、昨今、多くの仕事はAI(人工知能)によって奪われるということがいわれています。
これからの時代を生き抜くためには、AIには真似のできない創造的な知性や、人間の心を本当にわかる知性を磨くことが必要だと思います。そのような能力を身につけるためには、文理の両方を学び、自ら考える能力を培うことが大切な教養になることでしょう。
今は奴隷制社会ではありませんが、それでも格差の拡大などという問題がいわれています。このような時代にあっても、自由な人間として生きるために、知識量だけでは測れないような、他人が真似のできない自分の教養を身につけることは、とても必要なことだと思います。
このことは、若い人だけでなく、私のような中高年のオヤジにとっても必要なことだと思っています。