// // 「老害」とは耳が痛いことばです

「老害」とは耳が痛いことばです

dog

pixabay.com

老害」ということばが、いつからよく使われるようになったのかはわかりません。今では、ネット上ではよく使われています。しかし、私の手持ちの辞書は古いからか、このことばは載っていません。

しかし、「コトバンク」(https://kotobank.jp/)を見ると『デジタル大辞泉』、『大辞林 第三版』、『精選版 日本国語大辞典』には載っているようです。『精選版 日本国語大辞典』には、用例として松本清張の小説『迷走地図』(1982‐83)から引用されています。

40年前から俗語としては存在していたようです。いつまでも頭の硬い高齢のリーダーが組織の上にいるために、組織が旧態依然として活性化しない、社会の変化に対応できないという意味で使われることばでありました。

最近では、さらに意味が拡張されて、自分の価値観に固執してそれを若者に押しつける年長者というような意味合いでも使われています。(「高齢者」ではなく「年長者」です。年齢に関係なく「老害」と見られうるのです。中学生が1学年上の先輩を「老害」と呼ぶ可能性もあります。)

また、その存在自体が若者の活躍の妨げとなっている年長者は、すべて「老害」に該当するようです。

さらに、ネット上では、そうした意味を超えて、すべての高齢者さらには中高年を侮蔑的・差別的に「老害」と一括りするような使い方も見られます。

「近頃の若い者は」への対抗することばとしての「老害」

昔から、年長者には従うべきというのが常識でした。伝統的な儒教道徳として年長者を敬うべきだということがあるからでしょう。

しかし、それだけではありませんでした。「亀の甲より年の功」ということわざのとおり、年長者の言うことには長年の人生経験にもとづく正しさがあると納得させられることが、実際にあります。

人生経験の豊富さによるさまざまな知見は、無視できないほどの有益なものでした。今でも、人生の根本的な問題については年長者からの助言を受けることは有益だと思います。

しかし、今は変化が激しい時代です。昔からの知識や経験が今に通用しないことがあまりにも多くあります。そのため、年長者から学べることが大幅に減ってしまいました。

偉そうな態度で振る舞う年長者に対して、若い人が「老害」だと感じるのは、そういう点にあるでしょう。

私も、自分の言動のすべて、さらには存在自体が「老害」とみなされる年齢です。ただし、私は組織の中枢にいるわけでもないですから、単なるうす汚い老人にしか見えません。しかし、ひとたび私が年下の人に「ワシが若かった頃は・・・」などと説教でもしたりすれば、たちまち「老害」として嫌悪されるでしょう。

しかし、私自身も、自分よりも年長者や立場が上の人には、「老害」と感じることがあります。事実に照らしてこちらが正しいはずのことでも、年長者に少しでも意見を言おうものなら、生意気だと相手から怒りをかうことがあります。そういうとき、若い人が「老害」ということばを使うことに納得させられます。

「近頃の若い者は・・・」と年長者が言うのに対して、若者の側からの反発として「老害」ということばの意味が拡張されてきていることには、必然性があると考えるべきでしょう。

世代間の隔絶  昭和と平成

世代間の隔絶は昔からありました。いつの時代でも社会は変化していたのであり、それぞれの世代が教育を受けたり、第一線で働いたりしていた時期が異なり、社会のあり方も違っていたのです。

あるT1という時代に価値観V1があるとします。後の時代のT2では、価値観V1とは異なる価値観V2が支配的になっていたとしてもなんら不思議ではありません。しかし、あるT1の時代に全盛期を送った人が、後の時代T2の人に、その時代の主流であった価値観V1に基づいて「これこれの生き方をしなさい、これこれの働き方をしなさい」と説教しても、何も心に響かない可能性は大きいと言うべきです。

昭和世代には、昭和の価値観や常識がありました。昭和世代にとっては、それが普遍的なものだと思い込んでも無理はありません。人はだれでも、自分の信じていることが正しいと思い込む傾向があります。

昭和の(特に戦後の)価値観としては、たとえば、いい大学に入っていい会社に就職すれば、死ぬまで安泰だとか、先輩や上司の言うことに対して無条件で従うことが、正しい社会人(勤め人)の生き方だというような。

私も、昭和初期の生まれである親とその同年代の先輩方から、そのような生き方を教えられて来ました。私と同世代の当時の子どもたちは、ほとんどがそういう常識を教えられて来たと思われます。

昭和末期生まれから平成生まれの世代にとっては、これらの価値観が必ずしも常識ではないと思います。なにせ、この世代の人々は、経済成長が当たり前の時代とは大きく異なる時代を生きてきたわけですから。少なくとも、これらの高度経済成長期や安定成長期の価値観に従おうとする人の割合は、私の若かった時代よりも減少しているでしょう。

その世代に対して、昭和の価値観に基づいて、お前もワシを見習えと言われても、「はい、わかりました」とすなおに答えるわけにはいかないでしょう。

変化に耐えうる柔軟さ

平成はバブル景気の時代から始まり、数年後にはバブルが崩壊し、以後は「失われた○○年」が長らく続いてきました。

バブル崩壊以後も景気の波はありましたが、私の個人的な感覚からすると、いまだにバブル後の不況が終わっていないように感じています。

かつての好況時のにぎやかだった街の様子は、今はもうなくなってしまったように感じています。

昔はよかったという話は、昭和末期以後に生まれた人にとっては、聞くのも不愉快だと感じるかもしれません。しかし、若かった時代に見た風景は美しく思えてしまうもののようです。

それはさておき、再びあのような繁栄を取り戻すことは、もはやできないのが現実なのでしょう。そうならば、今の時代に適した生き方、仕事の仕方をすることが当然のことです。

若い人々(特に男性)が、お酒を飲まないとか車を買わないというのは、私のような世代には寂しいという思いがあります。

しかし、お酒を飲んで喧嘩をしたり、健康を害するならば飲まない方が賢明だと言えます。

また、自動車については、都市部での交通機関の発達があり、最低でも100万円前後から価格の下がらない上に、維持費もかかるものを所有しない方が、経済的な選択とも言えます。また、これからはカーシェアリング等で、より負担の少ない車の乗り方も選択肢に入ってきました。

冷静に考えてみれば、所得の上がらない時代に、生活のコストを下げようとすることには合理性があります。

お酒のつきあいにしても、勤務時間から解放されたのに、わざわざ上司と飲みに行って仕事の話や説教をされても、楽しくありません。もし、その上司を心から尊敬していて、その人の話を聞くことに価値が見いだせるならば、納得できるかもしれません。しかし、そうでない場合は、時間の無駄としか思えない人が増えていると思われます。

昭和の職場の中での常識が、今では非常識とされることが増えてきました。今ならばセクハラやパワハラとされることが、かつては問題になることはありませんでした。

人は、若いときに刷り込まれた考え方から抜け出すのは難しいようです。しかし、私の世代の多くの人がもっている、昭和時代の価値観に縛られていると、将来の日本社会に悪影響を与えることもあるにちがいありません。

昭和時代とは今では、あまりにも多くの点で社会が変わっています。

変化に適応することは、ただ後から適応するという心構えでは、追いつくことはできません。先を読んで、一歩でも二歩でも先を行くくらいでないと、すぐに取り残されてしまいます。

固定観念から自らを解放し、柔軟にものごとに対応する能力が必要です。これから先、そういう能力がより大切になることはよく言われていることです。

単なる「老害」として終わらないために

自分が生きていること自体が「老害」とされるとはたいへん悲しいことです。しかし、若い人々にとっては、私のようなオヤジあるいはジジイは嫌悪の対象となりやすいのでしょう。一般に、オヤジもジジイも威張っていて頭が硬くて、見た目も良くないと認識されているのではないでしょうか。

私自身も、若い頃は50代以上のおじさんたちは苦手でした。自分の前に立ちはだかる、鬱陶しい存在ではありました。しかし、彼らには権力があったために、たとえいくら反抗しても、最後は従うしかなかったことを思い出します。

権力のある世代とその下の世代の関係は、いつの時代にも存在するものです。これは、人間社会では避けられない関係のあり方なのかもしれません。

今の自分が嫌われるべき存在になってしまったことは、時代の繰り返しと言える面もあります。

しかし、「時代は繰り返す」として片づけるだけでは済まされないこともあるとも思います。

今のシニア世代が特に「老害」とされるのは、責めを負わなければならない世代だとみなされているからと思われるからです。

それは、1990年代以降の日本の低迷に対する責任です。昨今、日本や日本人はすばらしいというようなテレビ番組がいろいろ放送されていますが、明らかに経済力では衰退している状況です。

よく挙げられるのは、世界の企業の時価総額でのランキングです。平成元年にはベスト20に14社入っていたのが、平成30年にはゼロ、日本の最上位のトヨタ自動車で35位です。(ダイヤモンドオンライン https://diamond.jp/articles/-/215484?page=2 の表より)

時価総額がすべてではないでしょうし、バブル時代が異常だったとも言えるのでしょうが、少なくとも、30年間での衰退は明白です。

かつてはGDPで世界第2位の「経済大国」だったのが、中国に抜かれ世界第3位となりました。これからはさらに他の勢いのある国に抜かされてゆく可能性が高いでしょう。「経済大国」であり「技術大国」であるという自負を、私たちはいつまで持ち続けることができるでしょうか。

確かに、この30年間、経済成長がなかったわけではありませんし、経済大国としての地位も大きく揺らいだわけではありませんでした。日本の衰退というよりも、他の国々が相対的に日本よりも高い経済成長を続けただけだという言い方もできるでしょう。

しかし、GAFAのような企業も出なかったし、世界をリードしていた半導体や液晶パネルでは新興国にシェアを奪われました。かつてのSONYの地位がAPPLEに奪われたと感じる人もあるでしょう。

もちろん、先端技術で、他国の追随を許さない分野もあり、研究者、技術者の方々の血のにじむような努力によって、日本の技術が支えられていることも事実です。

しかし、今の日本経済全体を見渡してみると、昔のような勢いが鈍ってしまったことは感じてしまうのです。

国内では実質賃金が伸び悩み、内需も拡大しません。いまだにデフレ傾向は続いています。

この経済面での停滞の原因はいろいろと指摘できるのでしょう。たとえば、人口減少が一つの原因として挙げられるでしょう。また、グローバル化の中で、国際的な経済環境が大きく変化してきたこともあるでしょう。

それら加えて、私たちの世代の責任も考えてみる意義はあると思います。

少なくとも私の場合は、高度経済成長期やその後の安定成長期、バブル期を人生の前半で体験し、バブル崩壊後も、そのうち何とかなるだろうという楽天的な考えで生きてきました。(ただし、私はバブル前の円高不況期に就活期を迎えた世代で、それなりに苦労はしたのですが。)

過去の日本の成功をそのまま継承していけば、いずれはまた昔のような繁栄が取り戻せると漠然と考えていました。石油危機やプラザ合意後の円高不況を乗り越えてきたのと同じように、ピンチは切り抜けられると信じていました。

私個人は、役所や企業の中枢にまで登りつめることはできなかったので、直接に政策や経営に関わった責任はないかもしれません。

しかし、ただ、先輩や上司のいうことをきいて、それを後輩や部下に伝えるだけで、しなければならなかったはずの創造的で改革的な仕事を、しっかりとできなかったのではないかと反省するのです。

たとえば、長時間働くのはよいことだ、定時に帰るような奴はだめだというような、昔ながらの価値観で仕事をしていた面が否定できません。私が定時で退社する勇気がない小心者だっただけかもしれませんが。

私たちは、高度経済成長期に生まれ、安定成長期に10代~20代を過ごしました。そして、働き盛りの時代を、バブル景気(平成景気)終焉後の低迷期に生きてきました。

私たちは、新旧の時代の間で狼狽するばかりで、新しい方向を見いだせずに足踏みしてしまったように思われます。(もちろん、私たちの世代のすべての人がそうであったわけではありませんが。)

たまたま、そういう時代に生きることになってしまっただけにせよ、後に続く世代の人々から見れば、「戦犯」として見えても不思議ではありません。「老害」ということばを聞くと、このことを責められているように感じてしまうのです。

「老害」と責められ侮蔑されることについて自分なりに内省し、今からでも、自分自身が今までの生き方を変えていくしかないと思うようになりました。

元号も令和となったこれからは、昭和の後半と平成のバブル崩壊後の時代を、ヘーゲルの弁証法で言う止揚(アウフヘーベン)するべきでしょう。

これからは、自分自身が生きてきた昭和の時代と平成の時代での体験に基づいて、新しい道を見いだしていきたいと思っています。

個人の力はかぎられています。個人の意思や努力だけで社会全体を変えることも難しいことです。しかし、私のような老害オヤジひとりひとりが、第一線を退いた後も、よく考えて行動することで、良い方向に変える一助となれるのではないかとは思っているところです。

スポンサーリンク