教養とは何でしょう

実学・虚学やリベラル・アーツについて、一から勉強する気持ちでここ数ヶ月あれこれと書いてきました。ここでは、それらに近いテーマとして、「教養」について考えてみます。

教養をひけらかす?

「あの人は教養をひけらかしている」という言い方を耳にすることがあります。この場合は、教養をひけらかすというよりも、知識をひけらかすという方が適切でしょう。

知識をひけらかすというようなことは、硬いことばで言うと学を衒(てら)うという衒学(げんがく)、英語では、ペダントリー(pedantry)や、場合によってはスノッブ(snob,俗物)なども当たるかと思います。

教養と知識は似たような意味合いをもって使われることばですが、これは区別する方がよいと思います。

というのも、本来、教養ある人は、自分が知っていることをひけらかしたりしないはずだからです。教養はにじみ出るもので、人に見せびらかすようなものではないと、教養ある人は自ずと理解していると思われるからです。

しかし、一般に、知識と教養はほぼ同義に使われるか、あるいはかなり近い関係にあるとみなされています。

知識のない人が教養ある人とみなされることは、少ないように思われます。漢字の読み方を間違えたり、英語のスペルや発音を間違えると、何だその程度の人かと多くの人は感じてしまいます。

教養ある人とは、それなりの知識を身につけた人です。問題はその先です。知識が何のためにあるかということを深く考えている人が教養ある人だと思うのです。

知識は、辞書を引いたり、本を読んだりして身につけることができます。しかし、その知識も、ただ百科事典を丸暗記して得られるものでもありません。

知識を関連づけて、世界観や価値観にまで発展させているところまでいかないと、単なる博識で終わってしまいます。

クイズを研究して、競技としてのクイズに強い博識な人は、常人にはできない能力を身につけた方々なので、クイズ好きの私は尊敬しています。しかし、それはそれとして、博識、多識、学殖だけでは教養ある人とはみなされないこともあるように思います。

耕すこと、形成すること

英語でcultureというと、文化をまず思い浮かべる人も多いかと思います。このcultureには教養の意味もあります。ラテン語の耕す、栽培するというcolereが大地だけでなく精神を耕す意味にまで広がって、それが西洋の現代語の語彙(ごい)に残っています。

また、ドイツ語ではKultur(クルトゥーア)が英語のcultureと同じ語源をもつことばです。しかし、Bildung(ビルドゥング)ということばもあります。こちらは、動詞のbilden(ビルデン)(形成する、教育する)が名詞化されたことばで、私たちが使う「教養」に近い語でもあります。(Bildungは「陶冶」と訳されることもあります。)

英語ではビルディングのもととなる動詞、build(築く、建設する/ドイツ語とは若干スペルが異なります)がありますが、ドイツ語では英語よりも広い意味で使われます。

漢語としての「教養」は古代の文献に用例がある古い熟語です。しかし、この意味は、今の教育の意味が近く、未熟な人を教え育てるということです。

西洋語の「教養」には親や教師が子どもに教えるという「教育」以上の意味合いがあります。現代日本語の「教養」には、翻訳語としての西洋的意味が与えられています。実際、国語辞典には西洋語のcultureの意味が語義として説明されています。

教養

1 教え育てること。
2 (culture イギリス・フランス Bildung ドイツ)単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。「―のある人」「―を高める」「人文主義的―」

『広辞苑』第五版 岩波書店

教養は、知識の教育や知識の獲得ということだけでないものを含んでいます。

たとえば、知識を身につけることによって精神を耕し、それによる人格の形成や、身につけた知識の現実生活への応用力も含まれています。

現代に求められる教養とは

大学に教養部や教養学部があり、どちらかというと人文・社会科学や自然科学などの純粋科学の分野を学びます。

また、中学校や高等学校という中等教育で学ぶ教科・科目は、ほとんどが教養に属する内容です。

これは、伝統的な教養を身につけるためのカリキュラムが組まれていると見ることができます。

ひな鳥は、飛ぶことができるようになって、そこでようやく鳥になります。

(ペンギンは飛ぶかわりに泳ぎますし、ダチョウは走ります。鶏は?・・・。飛ばない鳥はここでは問題にしないでください)

人間もまた、人間を人間にするもの(人間の文化)を身につけてはじめて人間になれるという思想が古代からありました。

「全人教育」を標榜する学校は多くあります。教養を身につけることと人格の形成がセットとなることが今も求められています。

しかし、教養課程の学生のころは、また高校と同じようなことをやるのかと、不満を感じました。

当時は、大学の一般教養の授業よりも高校の授業の方が、おもしかったと感じたものでした。高校の先生の方が、いろいろと工夫をされていたのではと感じています。今の大学の授業は学生からの評価もあり、大学の先生方も努力されているようですから、昔に比べると変わっているとは思います。

政府も、大学入試問題を思考力を試す方向に動いています。教養=知識ではなく、文章やデータを読み解く能力や、それを土台にした想像力と創造力や、現実への応用力はこれからますます必要になる能力だと思います。そのような能力の土台をつくることこそが、これからの教養になるでしょう。

もちろん、この教養には、古代文明以来のあらゆる人類の文化が含まれているはずです。新しいものは、過去の積み重ねから生まれますから。

結論

教養とは知識を身につけることだけではなく、身につけた知識を土台として人格を築き、人間性を磨くことです。

さらに、知識をあやつる力とでもいいますか、知識をもとにして、新しいものを作り上げていくもとでもあると思います。

そういう見方をすると、自分自身はさっぱり教養など身についていないなと思わざるをえません。

ただ、教養には実学・虚学というような見方をこえた知と行為のおおもとになるものがあるような感じは、自分としてはつかめてこれたかなという気はしています。

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