「人生はあっという間だよ」。
そんな話はだれもが年長者から聞いたことがあるのではないでしょうか。
中学校だったか高校だったか忘れましたが、音楽の教科書に、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の「サンライズ・サンセット」の英語の歌詞が載っていました。先生が、訳しながら説明してくれました。
中高生の私には、この歌詞は頭ではわかっても、身にしみてわかるはずもありませんでした。ただ、あの頃の私には、悲しい短調のメロディが印象的で心に響いたことを思い出します。
「日は昇り、日は沈む」ということばに関しては、違う意味で10代の少年にも実感がありました。
毎朝、毎朝、気がつくと学校に向かって自転車を走らせていることに、どうしようもないむなしさを感じていたからです。
こういうことを繰り返しながら、やがて年老いていく運命を恐れていたのかもしれません。あの短調のメロディが、そのような自分の思いと重なったのでしょう。
それでも、10代の頃は、老いについては遠い先の話で、ほぼ何の関心もありませんでした。むしろ、老いが問題になるなんて、めでたいことだという程度のことしか考えていませんでした。
若さの中にあっては、老いることへの恐れよりは、若くして死ぬことの方が怖かったように思います。また、老いるまでにどれだけ生き続けなければならないかということの方が、より大きな問題に感じていました。
若ければ若いほど、時間は長く感じました。そして、未来はとても想像できないほど長いものに感じました。
10年先に生きている保証もないわけですから、自分の未来に確実性も感じられません。
20代で会社に勤め始めたときに、60歳で定年と言われても、そんな先のことは想像もつきませんでした。
しかし、年月というものは、先を見ると長く感じるものの、過ぎるのは不思議なほど早いものです。20代から50代への30年がたつのがなんと早かったことか。
70代の人ならば、「この50年がすぎるのがなんと早かったことか」とおっしゃるに違いありません。年をとるほどに時間が加速度的に早く過ぎるように感じるというのは、誰もが実感することでしょう。
ただ、少なくとも、人生の中での30代と40代は特別に早く時間が過ぎるのではないかという思いがあります。
それというのも、30代と40代は、おそらく人生の中でもっとも忙しい時期に当たるからです。いわゆる「働き盛り」は40歳前後という風に、一般的には言われていますし。
勤め人であろうが専業主婦(主夫)であろうが、この年代の人々は、日々、自分自身を振り返る暇もないほど、あれこれとやるべきことに追われています。
10代ならば、部活に勉強に忙しいといっても、多くの人は、経済的自立は免除されています。20代は、まだまだ親も元気だし、親には経済力もあり、駆け出し社会人としてまだまだ学ぶ時期です。これに対して、働き盛りの年代は、社会(会社も)から多くを求められ、家族からも多くを求められる厳しい時期です。この時期は、無我夢中で目の前の問題を処理していくしかありません。
自分自身の経験からしても、忙しくしているうちに、30代と40代の20年間はあっという間にすぎてしまったと感じています。
あまりにも当たり前すぎる話を書き連ねてきました。
賢明な人ならば、子どものときから、過ぎ去った時間の短さを、たとえ、おじいちゃんやおばあちゃんに教えられなくても、それをよく理解しているでしょう。
私はそのような教訓を与えられたこともなく、自ら自覚することもありませんでした。実際にそれなりの年齢になってはじめてこういうことに気づいたのでした。
今は、ネット上に、どのように人生設計をしていくべきかという情報が、あふれています。ネットがなかった時代には、雑誌や本を買わないと得られませんでした。本屋さんで自分で探して買うのと、検索語を入力すると大量の検索結果が出てくるのとは雲泥の差です。私の場合は、すでにもう遅いというべきです。
過ぎてしまえば短い時間を、どのように使うのが充実した生き方といえるのでしょうか。これについては、その人自身が何に価値を置くかという、価値観によることになります。
・職場での出世をめざす
・多くの財産を得ることをめざす
・趣味を充実させる
・家族のしあわせを実現する
・自分の内面を磨く
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人によって重点の置くところが異なるでしょう。
ただ、かならずしも思うようにならないのも人生です。定年後までの完璧な設計ができていたとしても、事故、天災、病気その他で、予定が狂うこともあり得ます。そのことも含めて、過ぎてしまえば短い人生を、どのように自分の生きたいように生きるかをよく考えておくことが大切でしょう。
残りの人生をどう生きるか。私も、たとえ今死んでも悔いが残らないようにしておきたいと思います。