困っている人とどう接しますか

あなたが何らかの問題で困っているとき、それを誰かにそれを相談しました。それに対して、冷たくあしらわれたらあなたはどう感じますか。

逆の立場で考えてみましょう。

たとえば、お金に困っている人にお金を貸してほしいといわれたら、本当に嫌ですよね。そのとき、情にほだされて、ついついお金を貸したものの、そのお金はとうとう返ってこなかった、という経験がもしあれば、二度と誰にもお金なんか貸してやるものかと思うでしょう。

お金がないのはお前に甲斐性がないからだ、今お金を貸しても、返す見込みがあるのか、ないだろう、そんな人間に貸せるはずもない、といいたくなるのはあります。そういいたくなるのは、真面目に一生懸命に生きている人ほどあるのではないでしょうか。

しかし、そのとき、お金を貸すことはできなくても、その人の心に寄り添うかそうでないかは大きな違いがあるように思います。

違う例で考えてみましょう。「私は学校でいじめられています」と相談されたらどうしますか。

いじめられているのは、あなた自身が何らかの原因を作っているからです、あなたは今までの言動を反省し、いじめられないように自分を変えるように努めなさい、と答えるのがよいことなのでしょうか。

「今、自殺しようと思う」と相談されたらどうしますか。命は大切なものだ、安易に死を選ぶことは許されない、あなたの命を生み、育んでくれた親のことをなんと思うのか、私だって、死にたいと思うことはあるが、それでも私は一生懸命生きている、あなたもそうしなさい、といえるでしょうか。

そういう相談をされたとき、あなたは間違っていると、いわゆる説教をすることで本当にいいのでしょうか。

困っている人には、それぞれ個別の問題があるでしょう。そのことについて相談されたとき、相談された人にとっては、たいへん鬱陶しいことでしょう。そんなややこしい問題を、相談してくれるなよといいたくなるに違いありません。

人に助けを求めることは、恥ずかしいことだと誰もが思うでしょう。それでもあえて助けを求める人は、本当に切羽詰まっていることはあるだろうと思います。

助けを求められたときに、どう応える(答える)ことができるかとか、どう応える(答える)べきかという問題は、たいへん難しいと思います。

いじめによる子どもの自殺の話や、子育てに困って子どもを遺棄するおかあさんの話を聞くにつけ、私たちの社会は、本当に困っている人に寄り添って、助けることができないような、冷たい社会になっているのではと思うことが多くなりました。

だからといって、私に何ができるのかというと、たいしたことはできないなとも思います。

しかし、誰かに相談されたときには、お金を出すような余裕はないにしても、その人を突き放したりせずに、話をじっくり聞くようなことは、それほど無理をしないでもできるとは思います。もし、それで親しい人が救えるなら、少々自分の時間が奪われても、自分が生きていることの価値が実感できるように思いますが、これは単なるきれいごとでしょうか。

あなたはどう思われますか。

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