吉野 源三郎著『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)を読みました

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先日、押し入れを整理していたら、『君たちはどう生きるか』という本が出てきました。最近、漫画版がベストセラーになっているあの本の「原作」です。

この岩波文庫は、私の本棚での「積ん読」状態から、いつの間にか、さらに格下げ?となり、押し入れの中に眠ってしまっていました。漫画版がベストセラーになっていると知り、そういえば買った記憶があるなと思いました。しかし、身近なところには見当たらなかったので、もしかすると勘違いかもしれないな、などと考えていました。

偶然にも、別の目的のために押し入れを整理していたら出てきたので、せっかくだからと読みはじめました。読み始めると、私は面白く読めました。数日に分けて少しずつ読みましたが、その間は、話の続きはどうなるんだろうと、楽しみにしながら読みました。

主人公のコペル君

主人公はコペル君という旧制中学校二年生の少年です。コペル君と叔父さんや友人たちなどの登場人物とのやりとりを通じて、ものの見方や生き方を学んでいくというストーリーです。

コペル君の経験と思索が盛り込まれたストーリーを、読者に自分自身に照らし合わせて考えさせるような内容になっています。大冒険という話ではありませんが、少年時代にありがちな話や、ストーリー上のクライマックスもあり、読者を引きこんでくれます。

旧制中学校は、今の新制中学校と違って義務教育ではなく、男子のみの学校で、5年制でした。(なお、女子は高等女学校に進学しました。男女共学が一般的な今の時代とは大きく異なっていました)。入学試験もありましたし、成績優秀で家庭もそれなりに経済力がないと進学できませんでした。コペル君は、お父さんを亡くしていましたが、それでも家庭は裕福で、恵まれた環境にある子ではありました。

コペル君の叔父さん

コペル君はお父さんを失っていますが、頼りになる叔父さんがいます。この叔父さんはお母さんの弟です。お父さんは亡くなる三日前、この叔父さんに、自分が亡き後も息子を頼むという旨を言い、さらに次のように言いました。

「わたしは、あれ(筆者注 コペル君のこと)に、立派な男になってもらいたいと思うよ。人間として立派なものにだね。」

吉野 源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫,1982年p.50

この叔父さんは、この義兄のことばを真摯に受け止め、そのための労をいとわずにコペル君の精神的な支えとなろうと努めます。日頃からコペル君の相談にのるなどして、コペル君の成長を見守ります。さらに、コペル君に読んでもらうための「叔父さんのノート」を書き、コペル君に文章の形でいろいろと語りかけます。漫画版でもこの部分は漫画化せずに文章のまま挿入されているようです。

「叔父さんのノート」から、印象に残ったことばとして、たとえば、次のことばがあります。

 子どものうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。 中略

それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。 中略

しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごく大体のことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜け切っているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。

吉野 源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫,1982年 p.25-p.26

※下線部は原文では傍点

本書を読み始めると、すぐに出てくるところです。

叔父さんは、コペル君に考えてもらいたいこと、自覚してほしいことなどを文章に託して書いていきます。説教臭いと感じる人もあるかもしれません。しかし、叔父さんの文章は、できるだけコペル君が自分で考えるように導こうとしているという印象を私は受けました。14歳の少年には、あらゆる問題を100%自分で考えることは難しい面があります。作者はこのことを考慮して書いているでしょうから、幾ばくかの説教臭さはあるかもしれません。

「叔父さんのノート」の先の引用部分から、私自身もいろいろと反省しました。私もいい年をして、いまだに自分を中心にして、ものごとを考えたり判断したりしていることが多々あるなとあらためて思ったからです。

「叔父さんのノート」には、ニュートンのリンゴの話や、ナポレオンの話、経済や倫理の話、ガンダーラ仏の話なども出てきて、私にはおもしろく読めました。

コペル君が叔父さんや友人たち、学校の先輩や同級生たちと繰り広げるいくつかのできごとに加え、「叔父さんのノート」は、「どう生きるか」ということを自分で考えるための参考になるだろうと思います。

女性たち

この本に登場する女性は、コペル君のお母さんと、同級生のお母さんでお豆腐屋さんの女将さん、そして別の同級生のお姉さんです。

お母さんは、理知的で優しい人との印象を受けました。悪い意味でのいわゆる教育ママという人ではなさそうです。息子の成長をあれこれ口を出すのではないけれども、しっかりと見守っている人のようです。

同級生のお母さんで、お豆腐屋さんの女将さんは、本書では唯一庶民的な人です。ほかの登場人物は上流社会の貴族的な人ですが、この人は早朝から働く商店主であり、家内工業の経営者として店を切り盛りする市井の人です。

友人のお姉さんは、高等女学校に通う人です。スポーツ万能の活発な人で、控えめな女性ではありません。言いたいことははっきり言うタイプです。ナポレオンのような英雄を尊敬する人でもあります。

それぞれ、コペル君に影響を与える大切な役割を持っている人です。コペル君が将来どのような人に恋をするのか、これについてはわかりません。しかし、同級生のお姉さんのような活発な女性に惹かれるのではないかという気はします。(独断的な推測に過ぎませんが。)

この本の感想など

私には、もはや、コペル君やコペル君の叔父さんのような未来はありません。それでも、私のような者が読んでも、あらためて考えさせられることも多くありました。読んでよかったと思える本でした。

この作品が書かれた時代は、太平洋戦争前の1937年(昭和12年)でした。今とは政治制度も学校制度も違いますし、東京の風景も当時とは大きく変わっています。私には、自分の親の世代の話です。コペル君が、1937年で14歳だったとしたら、大正生まれで今は95歳くらいの方になります。そうすると、私の父親よりも年上で、私の伯父さんほどの世代の人です。

この時代の学校の雰囲気については、父親からよく聞かされました。学校では、いつ殴られるかわからないような、そんな状態だったそうです。隙(すき)があれば殴られるので、決して同級生にも後ろ姿を見せられなかったとよく言っていました。父は、旧制商業学校卒業ですから、旧制中学校とはまた違う雰囲気だったのかもしれません。しかし、あの時代の学校には、特に男子にとっては今とは違う厳しさがあったに違いありません。

私にとっては、親の世代の人が学校に通っていた時代の雰囲気を知る、歴史的な史料のような読み方もできましたし、時代を超えた教育的な本としても読むことができました。

戦前は、古き良き時代だったと見る人もあれば、暗黒時代だったと見る人もあるでしょう。しかし、そうした時代観を超えて、ある時代の社会状況に縛られないで、人間の生き方についての思索とその表現があったことはこの書から感じ取れると思います。

しかも、思春期の若い世代向けに書かれたこのような本があったことも、いつの時代も人が生きる上での悩みや乗り越えるべきことは変わらないということを実感することができました。

どんな時代であっても、自ら考えてよく生きようとする心の大切さは、この書から学べることではないかと思います。

ただ、時代が違うために、今の私たちがそのまま読むことは必ずしも簡単ではないかもしれません。もしかすると平均的な中学生には難しいかもしれません。しかし、漱石の『こころ』や、森鴎外の『舞姫』を教科書で習った高校生以上ならば、時代背景も踏まえながら、今にも通じる人生論の書として読むことができるのではないかと思います。

若い人から中高年まで、幅広い世代の人にとって、一読の価値がある本だと思います。

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