大空へ 海へ 故郷(ふるさと)へ
私はもうすぐ 帰ってゆく
(後略)
「老人のつぶやき」 作詞・作曲 小田和正
この歌詞で始まる、「老人のつぶやき」という、小田和正氏による作詞・作曲で、歌と演奏がオフコース(Off Course)の短い歌を、ふと思い出しました。
忘れられない歌
この歌を聴いていたのは、私自身がおよそ「老人」にはほど遠い、若い年齢のときでした。そのため、この歌詞が直接に身にしみることはありませんでした。
それは、遠い遠い先の話くらいにしか感じられませんでした。そもそも、老人といわれる年齢になる前に死んでしまうことの方が、私には怖かったのです。
ただし、生き続けることができたなら、いずれは自分も老人になることもわかっていました。そうなると、自分の人生がどうだったかと振り返るような日が来ることも理解していました。
いずれは、現実になるだろうという未来の自分のこととして、この歌を受け止めたことは確かです。
この30年ほど、オフコースの音楽もほとんど聴くことはありませんでした。この歌のことも長い間忘れていました。
しかし、そろそろ父親が逝った年齢にも近づいてきたからでしょうか、自分自身がいつ死んでもおかしくないと思ったとき、この歌を思い出しました。
レコードやCDを再生したわけでもなく、ラジオから流れてきたわけでもなく、頭の中でこの歌が流れました。
なぜか私はこの曲の歌詞は全部覚えておりました。自分が老いることは遠い先のことと思いつつも、この歌詞が私の心に強く刻印されていたからなのかもしれません。
(前略)
私の短い人生は
私の生き方で 生きたから
もういちど 若い頃に
戻りたいと 思うこともない
(後略)
同上
この2番の歌詞は、自分の生き方を貫いたから、もう悔いはないという思いが語られています。
この歌詞を書いた当時の小田和正氏は、20代後半であっただろうと思います。
若き小田氏は、後悔しない生き方をしてきた人の心境はこのようなものであると想像して、この歌詞を書かれたのだろうと思います。
実際、建築学を大学院まで学ばれた小田氏ご自身も、当時はその道を離れ、すでに音楽の道を選ばれていました。その音楽の道を歩むという生き方を貫いていく決意が込められていたのでしょう。実際その後もずっと、小田氏は「私の生き方で、生きたから」と言える生き方を貫いてこられたと思われます。
「私の生き方で生きた」と言える人生
それぞれの価値観による「私の生き方」
おそらくは、どれほど医学の進歩が著しいといっても、今生きている私たちが永遠の命を得ることはまだ無理でしょう。私たちは、いつかは死にます。
死期が迫ってきたとき、「私の生き方で生きたから」と満足できるような生き方とは、どんな生き方なのでしょうか。
これは、それぞれの人の価値観によって異なるものでしょう。
そうすると、自分の価値観によって生きることが貫けたかどうかによって、満足の度合いが決まります。
自分らしい生き方ができたか、自分の心にしたがって生きられたかということが、「私の生き方」ができたかどうかという評価基準になるということでしょう。
完全な自由人として生きることが「私の生き方」の人もあるでしょうし、組織の中で評価され昇進して、組織の中枢で活躍できることが「私の生き方」の人もあるでしょう。また、財産をできるだけ多く築くことが「私の生き方」の人もあると思います。
生き方は千差万別ですが、自分がこのように生きたいと、若い頃に考えた生き方、あるいは、その後の人生の中で修正を加えた生き方をどれだけ貫けるかが、年をとってから感じる自分の生き方への満足度の基準になるでしょう。
しかし、人生はより複雑なものです。自分の生き方は、自分だけで決められるものではありません。
「私の生き方」と外的要因
たとえば、完全な自由人として生きたいと思っても、生活に困らないだけの資産がなければ、どこかで働かないと生活ができません。就職すれば、もはや自由人ではなくなる可能性が大です。もちろん、才能を生かして、雇われない生き方をすることは可能です。しかし、100%自分の好きなことだけをして生活費を稼ぐことは、かなり難しいことです。
組織の中で出世したいと思っていても、理不尽なことを要求する暴君のような上司が現れたとき、その人の完全な下僕やイエスマンにはなれないこともあり得ます。一回でも逆らってしまうと、その組織での昇進は終わってしまうかもしれません。あるいは、企業が倒産してしまったら、終わってしまいます。
また、財産を順調に築いてきたはずが、土地や株が大暴落して、財産を失ってしまうかもしれません。思い通りにいかないのも人生です。
「私の生き方で生きた」と言うためには、運命といわざるを得ないような外的要因に翻弄されても、それでもなお、「私の生き方」と言える人生を生きてやるという強い心が必要です。
「私の生き方で生きた」と満足できる生き方は、それぞれの人の外面的な結果と言うよりは、内面に属する何かということになるのではないかと思われます。
たとえば、死を前にして、社会的地位も財産も失った状態であったとしても、その人が挑戦し努力し続ける人生を生きてきたならば、「私の生き方で生きた」と満足できるように思います。
人生と愛
小田和正氏の「老人のつぶやき」には、本題とも言うべきもう一つの大事な主題があります。
私の好きだった あのひとも もう死んでしまったかしら
同上
ただあのひとに 私の愛が 伝えられなかった
それがこころ残りです
同上
「私の生き方で生きたから」「若い頃に戻りたいと思うこともない」ほどの境地に達した人が、「こころ残り」と思うことがあるというのです。
上の歌詞にあるように、自分が好きだった人に、「私の愛が伝えられなかった」ということです。
若い頃この歌を何度も聴いて、「私の生き方」で生きることが、人生にとって大事なことだと思いました。同時に、それと同じくらい、「私の愛」を「伝える」ことが大切だと感じました。
もちろん、愛を伝えた結果、その愛に応えてくれた人を、だれよりも大切にしなければならないことが最も重要なことです。
しかし、その前に、愛は伝えなければ、だれも応えてはくれません。
また、一口に「愛を伝える」と言っても、いくつかの次元があります。「あなたが好きです」と告白する次元もあれば、長年連れ添った夫婦が、互いに行動によって愛を伝えるという次元もあります。友人の間の愛もあれば、親子・兄弟の愛もあります。
いずれにせよ、人を愛すること、人を大切にすること、人から愛されること、人から大切にされることは、人が生きる上でたいへん重要な位置を占めることです。
オフコースの音楽、特に小田和正氏の歌は、徹底的に愛をテーマにしています。
かつて、あまりに愛の歌(別れの歌も含みます)ばかりなところに、ついて行けない面を感じたこともあります。たとえば、「君を抱いていいの」(「Yes・No」)という歌詞は、当時の一般的な男たちにとっては、何という軟弱な歌だと感じるような面もありました。
しかし、世間からなんと批評されても、確固とした信念による徹底ぶりと、愛をテーマにした多くの歌は、当時の若者に大きな影響を与えたのではないかと思います。
小田氏の「思いのままに」という歌があります。
君は君の歌 うたえ
僕はこの想いを
調べにのせて
「思いのままに」 作詞・作曲 小田和正
この歌では、私は自分の歌、愛の歌を歌うのだという信念が示されています。
愛は、時代を超えた普遍的なテーマです。
今でも、若い人がオフコースの歌から、愛についていろいろと学べることがあると思います。
結び
「老人のつぶやき」は、短い歌ですが、人生についていろいろ考えさせられる歌です。
若い頃にこの歌を聴いた人も、あらためて自分の人生の振り返りながら聴く価値のある歌です。また、若い人にも、これからの生き方を考えるために聴いてほしい歌でもあります。
「私の生き方」、「私の愛」を見つめることは、悔いのない人生とは何か、私の幸福とは何かを考える上で欠くことができないと思います。