// // 失われた30年と日本の衰退

失われた30年と日本の衰退

ちょっと前までは「失われた20年」と言われていましたが、このごろは「失われた30年」と言われています。

そして、日本における Lost Generation(失われた世代・さまよえる世代)が中年と言われる世代になりました。

この「失われた30年」はちょうど私の世代が働き盛りにあった時代と重なります。

私もまた、その戦犯の世代に属しています。

ただ、若干の弁解をさせていただけるなら、私はバブル時代の恩恵によって、就職で楽をしたこともなく、株や不動産で儲けたことはありませんでした。

就活の時期はまだ円高不況の時期でしたし、バブル時代は、職場の中では単なる下っ端で、なんの力もありませんでした。

しかし、「失われた30年」の直前にあったバブル景気の時代を、20代の成人として知っていることも確かです。そのことから私は罪人の意識が拭えません。

そうは言っても、言うまでもなく現在の私は財界の重鎮でもないし、大手企業の取締役でもなく、政治家でもありません。単なる60代の貧乏な無名のジジイに過ぎません。私にできるのは、一人の小さな罪人として、「失われた30年」の後の未来について考えてみることくらいです。

そんなわけで、個人的断想を記しておこうと思います。

失われた30年

この30年間の始点は1990年代前半に当たります。ちょうどバブルが崩壊した時期です。

この30年間は単に経済が低迷した30年間というだけでなく、バブル景気(平成景気)の終わりから始まったということに特徴があると私には思われます。

ちょっと振り返ってみます。

1985年のプラザ合意以来、円高が進んでいました。そのため円高不況が始まり、その対策として金融緩和政策が取られて、それがバブル経済を生むことにつながりました。

バブル景気の時代は、とにかく土地でも株でも投資すれば、基本的には自動的に価値が上がるという時代でした。

汗水たらして働くよりも、お金をうまく運用していればそれだけで金持ちになれる時代でした。

企業も、モノづくりが主な業務であるはずのところでも、不動産の取引していました。

街の証券会社のショーウインドウでは、株価の電光掲示板が目立つように置かれていました。まだ、ネット証券会社がなかった時代です。証券会社の窓口は、多くの人でにぎわっていました。

消費の面では「高いものほどよく売れる」と言われました。高級ブランドの高額な商品がよく売れていました。

今では信じられないような景気の良い、異様に明るい時代でした。せいぜい5年間ほどの期間でしたが。

景気循環の波という視点からすると、過度な好景気の後には極端な不景気がやってきます。

本来、金融政策や財政政策は景気の波を小さく抑えることが必要だと思うのですが、あの時代は好景気を放置しすぎたように思います。

ただ、バブル崩壊後の不景気の中でも、そのうちまた好景気になるだろうという気持ちが、私たちの心の中にはあったと思います。

2000年代、小泉純一郎内閣(2001年~2006年)が、「痛みを伴う構造改革」、「構造改革なくして景気回復なし」と唱えていました。多くの人は、彼に任せれば景気が良くなる日もやってくるだろうと思っていました。私もそう思った一人でした。

日本経済は、ドルショックや石油ショック、円高不況などを経験しても、再び景気が回復し経済成長を続けてきました。そういう過去の経験が私たちの頭に刷り込まれていました。

そのために私たちは楽観的だったように思います。

もう一つ、日本経済が不景気を乗り越える手段として、輸出で稼ぐということがありました。安倍晋三内閣が進めたアベノミクスにおいて円安が進みましたが、これは景気浮上のチャンスかもしれないと多くの人は思ったでしょう。

しかし、現在に至るまで一般庶民の感覚からすれば、景気の良さを実感できるような状況にはありません。

バブル崩壊後の日本は、それまでの日本とは大きく異なった社会に変わってしまったのでしょうか。

バブル後の日本人は、投機的な投資で儲けることを経験したために、良いものをコツコツ作って多くの人に買ってもらおうという、かつての頑張り方を忘れてしまったのかもしれません。

また、バブル崩壊後の銀行は、かつてのように企業を支えとなることをやめてしまい、「貸し渋り・貸しはがし」を行いました。銀行も自社を守るためには手段を選ばない行動に出ていました。

企業の経営者は自社の存続に重きを置き、経費の節減に努め、内部留保を増やすようになりました。

労働組合も雇用の維持を重視し、賃上げよりも雇用を守ろうとしました。給料は安くてもいいから、クビにはしないでねと言っていたわけです。

企業の経営者は諸経費を安く上げるために、人件費も抑えるようにしました。

かつては「企業は人なり」というのが大学生向け求人誌の常套句でした。

就職するということは正社員になるのが当たり前で、その企業に仕えることを意味しました。
(今では、正社員になりたくてもなれずに、低賃金で何とかやりくりしている人も増えました。正社員であることがそれだけで価値があるという時代になりました。)

バブル崩壊後は、「人は高くつく」ので、1円でも安く人を使うようになりました。派遣労働者や非正規労働者など、人件費を安くあげることのできる労働者を増やすのが当たり前になりました。

企業にとって人は、企業を支える大切な存在ではなく、どちらかというと経費として減らすべきものになってしまったようです。

民間企業だけでなく、役所も税収が減る中で、非正規の職員を増やしたり、民間企業にアウトソーシングするようになりました。

「経費を節約することの何が悪い」という考えの方も多いでしょう。しかし、働く人の賃金を安く上げることは、それだけ国民全体の所得が減ることになります。それはGDPの減少につながります。

無駄なコピーや無駄な電気代などあらゆる出費を始末することは、企業の経費を減らすことになり、企業の利益を増やすことになります。それは、ごくごくわずかながらでも生産性の向上につながるでしょう。経費を始末することは、個々の企業にとって、短期的には生産性の向上に繋がるでしょう。

この考え方を推し進めると、企業は事務所も工場も従業員も何もいらなくなります。取締役や監査役だけで、あとはすべて外注で済ませればよいわけです。これほど効率の良い会社はないでしょう。

しかし、そんな企業ばかりになれば失業者が街にあふれます。
本当にそれで日本経済はこの先やっていけるのかと考えると、疑問が残ります。

日本の衰退

GDPでは世界第3位の日本ですが、「一人当たりのGDP」では30年前よりも大幅にランクを下げました。30年前は世界ランクで1桁台でしたが、2022年では30番台に落ちています。そのほかの経済指標でも1990年代にくらべると、大幅にランクを落としています。

日本は、「経済大国」とはもはや言いにくい状態になっています。それにくらべると、アメリカは多くの経済指標のランキングで1桁台を維持し続けており、今もなお「経済大国」であることに変わりありません。

日本がかつての「栄光」をすでに失っているのは明らかです。

これについては、新興国の追い上げによって相対的に日本がランクを下げているとも言えます。しかし、それだけではなく、先進国の進化に日本が取り残されていることもあります。

日本の衰退は、経済指標だけでなく、人口減少という点でもはっきりと表れています。

戦後の高度経済成長は、日本人が勤勉だから実現できたという「神話」があります。確かに、企業は「滅私奉公」的な勤勉さに頼っていたと思います。

しかし、「24時間働けますか」というような働き方では、過労死する人も続々と出てきます。これでは到底やっていけないことが社会全体で認識されるようになっています。

高度経済成長は、人口増加によるものだという見方のほうに真実性がありそうです。

数(かず)の上で労働力が増え生産力が増えつつ、市場が拡大するのですから、人口増加と経済成長には明確な相関がありそうです。

人口が減れば、人口増加に頼ってきた経済成長が減少に転じるのは、あまりにも明らかです。

今後の日本の選択肢は、人口減少下でも生産性を上げて経済成長を目指すのか、それとは別の経済社会を作るのかということになります。ほかには、人口が減り続けて日本が自然消滅するという選択肢もありますが・・・。

日本の衰退は明らかに進んでいます。この先の進むべき道をどうするかということについては、人々がみんなで知恵を出し合って決めていくべきだと思います。

私の個人的な意見については、改めて書きたいと思っています。

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