Learn as if you will live forever,
Live as if you will die tomorrow.
永遠に生きるかのように学べ。
明日死ぬかのように生きろ。
とは、インド独立の父、ガンジーのことばとかそうでないとか言われます。「学べ」と「生きよ」も、どちらが先でどちらが後かについても二通りのものがあります。
ガンジーのオリジナルではなくとも、あるいはガンジーが言ったことばでなくても、このことばは、生き方の指針となることばであると思います。
「明日死ぬかのように生きろ」はわかりやすい教訓です。
人間はいつ死ぬかわからない中で生きています。若くて、健康で、体力も気力も充実した人でも、今日はどんな事故に遭うかわからないのが現実です。日々のニュースを見ていると、思いもしないような事故や災害で若い方が命を落とすことが実際に起こっています。
私たちは、わずかの先に何が起こるか予測すらできません。防災対策をしたり、保険に入ることぐらいしかできないのが実情です。
今、生きていることは当たり前ではなく、奇跡的なことともいえます。
「明日死ぬかのように生きろ」と、今このときを大切にして、精一杯生きること。たとえ、明日に死んでも、悔いのないように毎日を生きることを教えてくれます。
残念ながら、私自身はそんな生き方をしているとはいいがたいです。むしろ、日々流されながら生きているという方が近いのではないでしょうか。
「永遠に生きるかのように学べ」は、強く心に響きます。学びは、生きている限り、少なくとも意識のある限り続くものです。
若いときには、まだまだ人生の先が長くて、むしろその長さにめまいがしてしまうこともありました。仕事に疲れて帰宅して、この先まだ何十年も働かなくてはならないのかと思ったときなどです。
しかし、先が見え、体力も気力も衰えてきたと感じるようになった今になって、まだまだ学びたいことがあると思うのです。
生きてきた時間より、残りの時間の方が明らかに短い年齢になって、「永遠に生きるかのように学べ」と言われると、本当に勇気がわいてきます。
そうだ、長年、読もうと思いつつも積ん読状態だった、あの分厚くて難しい本を読んでみようと思ったりします。
人一人が学ぶことができることには限界があります。それは、どれだけ知力も体力もある人でも、永遠の命がない限りは無限に学び続けることはできないから当然です。
しかし、最期まで学び続けることができれば、そのような人生はすばらしい人生だったと言えるだろうと思います。
このことばでは、「最期まで学べ」ではなく「永遠に生きるかのように学べ」と言っています。このところが、本当に私たちを励ましてくれるところです。
学びとは、あと何年とか何ヶ月というような期限があるものではなく、無期限なものであり、果てしのないものであることを教えてくれます。
また、人生の残り時間を考えてあきらめるのではなく、学ぶことへの勇気と希望を持ち続けなさいと元気づけてくれています。
現実の社会では、学校には修業年限がありますし、研究機関でも研究プロジェクトの期限があります。無期雇用といえども定年があります。
しかし、人の学びには、本来、期限など設定することはできません。それは、個人の死すらも超えるものです。
個人の命が終わっても、その学びは後の世代にも引き継がれていきます。学びの成果は、何らかの形で残り続けるのです。
個人の学びは決して無駄にはなりません。いくつの人であっても、100年先まで生きるくらいの目標で学びの計画を立てて学び続けることは、意義のあることだと思います。
永遠に生きるかのように、私は学んでいきたいと大まじめに考えています。時間はあまりないのにもかかわらず、学びのペースは遅いのですが、それは私の能力からしても仕方ありません。それでも何もしないよりはましなはずです。
ここまで書いてきて、たとえ明日死ぬとしても、今日何かを学ぶことができていたら、悔いは残らないと思えるようになりました。
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