価値観は、ものごとの価値に対する個々人の考え方というような意味の語です。
人それぞれの価値観があり、現代ではそれが多様化しているというのが一般的な認識ではないでしょうか。
通常、「かちかん」というと、この「価値観」と書くべきなのですが、「価値感」と書く人が増えているようです。
このごろカチカンを価値「観」ではなく価値「感」と書く学生が非常に多い。半数以上が価値「感」と書いている印象がある。
それは単なるケアレスミスというよりも、今時の青年たちのこころ模様の反映なのかもしれない。つまり、いまや価値「観」は価値「感」へと変容してしまい、彼らにとって価値は、「感kan」じるものであっても、「観kwan」じるものではなくなったのであろう。
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~clipsyst/mandarage99.pdf
「価値感」と書くと、今でも、入試などの小論文ならば減点される可能性が高いでしょう。しかし、1999年頃でも、「価値感」と結構な割合の医学生が書いていたというのは、これもまた、時代の流れなのかと思いました。
私の個人的な語感としては、「価値感」とは、ある商品などが価格に対して「お得感」「お値頃感」があるという意味で使うのならば違和感がないかなというようには感じていました。
価値観と同義で使うのはどうかな・・・という風には、今でも思います。
しかし、「観」と「感」というと、「直観」と「直感」を思い出します。こちらは、どちらも辞書の見出し語となっているので、正しいとか誤っているということはないでしょう。
デジタル大辞泉では、次の説明になっています。
直観 《intuition》哲学で、推理を用いず、直接に対象をとらえること。また、その認識能力。直覚。「真理を直観する」「直観力」
直感 推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。「直感が働く」「将来結ばれる運命であることを直感した」
『デジタル大辞泉』
両者の意味の違いはわかりにくいですが、「直観」は「intuition」という哲学用語の訳語である点ははっきりと読み取れます。
広辞苑(第五版)では、両者の違いがもう少しわかりやすいように説明されているように思います。
直観 〔哲〕(intuition) 一般に、判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知であり、プラトンによるディアレクティケーを介してのイデア直観、フッサールの現象学的還元による本質直観等。
直感 説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること。すぐさまの感じ。「―を働かす」「―的に知る」
『広辞苑』(第五版)
プラトンやフッサールという哲学者への言及は無視するとしても、直観は哲学用語として、「直感ではなく直知」という違いがはっきりと書かれています。
直観は「知的な把握」であり、直感は「感じ知る」ことという点に違いがあるということのようです。
ここでの両者の違いから、「観」と「感」の違いも、「知性的」か「感覚的」かの違い、大ざっぱに言えば、「脳みそ」か、「感覚器官」の違いだということが見えてきます。
ただし、こう言ってしまうと、脳も五感(視覚・聴覚・嗅〔きゅう〕覚・味覚・触覚の五つの感覚)もどちらも神経細胞の働きなので、知性も感覚も根は同じという見方もできますが・・・。
「人生観」や「世界観」という語があります。
これらは「価値観」と深い関係のある語ですが、これからは、「人生感」「世界感」と表記する人が増えてくるかもしれません。
ことばは、時間の経過や社会の変化によってどんどんと変化していきます。ものごとを深くとらえようとする「観」よりも、その時々の感じ方である「感」の方がしっくりくるようになるのは、そう遠くないのかもしれません。