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博士こそ必要とされる人材でしょう

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日経電子版の記事「『博士』生かせぬ日本企業 取得者10年で16%減 チャートは語る」を読みました。

海外では学士に比べ修士や博士が就職などで有利だ。特に博士は、専門知識や課題解決能力が評価され、高収入につながりやすい。
欧米では博士課程の学費を免除したり、学生に給与を支給したりすることが珍しくない。日本は経済的支援が手薄で就職にも苦労することが多いことから、博士課程への進学率は低下傾向が続く。

前掲記事より

世界各国では博士号取得者が増えているのに、日本では減っているということです。

博士号を取得しても、民間企業への就職に不利になるし、大学や公的研究機関での研究職にも就きにくいということが原因にあるようです。

民間企業は、採用にあたっては、

「専門性」ではなく、「コミュニケーション能力」

前掲記事より

を重視するし、大学や公的な研究機関での研究職は狭き門です。

研究機関に採用されても、短期的な成果が求められ、腰をじっくり落ち着けて研究するのは難しいようです。

最近、IT、特にAIの専門的技術を持つ人材については、日本企業においても獲得競争が起きています。しかし、企業にとって、院卒は修士までが求める人材というのが一般的でしょう。

苦労して博士号を取っても、それがかえって負の評価にしかならないのならば、だれも無理して取りたいとは思わないですね。

また、「専門性よりはコミュニケーション能力」と言われるとき、「そりゃそうだ」と納得する人も多いでしょう。

ごくかぎられた狭い分野の専門的知識を多く蓄えた人よりも、組織の中でうまく人を動かしていくような人の方が、企業の日々の業務と組織を動かすという点において役に立つ人とみなされるでしょう。

態度には出さないにしても、博士号を持っていることで、同僚や先輩よりも自分の方が格が上だと内心思っている人よりも、学部卒で何色にでも染まってくれる新人の方が、はるかに使いやすいと考える人が多いのではと思います。

しかし、博士にかぎらず修士も含めた院卒の人が、それほど傲慢で人間性において「バカ」な人であるとは思われません。

むしろ、文理を問わず、大学院での研究という根気のいる無報酬の「仕事」に、自腹を切って従事した人こそは、忍耐力や問題解決力のある人なのではないかと思うのです。

大学院に入学し、大学院で研究するためには、その入試に合格するだけの学力があるだけではなく、何を研究したいかという問題設定能力が求められます。(何を研究したいかを問わずに入学させるような大学院はありえないでしょう。)

そして、院卒者は、大学院を修了するために、自分が設定した問題について研究し、何らかの成果を達成したはずです。

自ら探究すべきテーマを設定し、そのテーマを解決するために、忍耐強く研究した人間こそ、今のように先の見えない今の時代に、もっとも必要とされる人材ではないかと、私には思われます。この人材は、専門職としてだけでなく、ジェネラリストとしても能力を発揮してくれるでしょう。

日本において、博士号を取る人が減っている現実は、この社会全体が、そもそも本当に必要としているはずの人材を失っているようにしか、私には見えません。これは社会的損失であり、経済的損失でもあります。

少なくとも、博士号を持っていることで就職に不利になるような企業や役所がゼロになることを願います。そのような採用基準は早急に見なおされるべきです。

問題を自ら発見し、自ら解決しようとする人の頂点にいる人こそが、博士です。専攻分野は、必ずしも関係ありません。

博士が当たり前のように尊敬されず、社会的に活躍もできないで貧困にあえいでいるような国は、国際競争力を失い、外国からの信頼も失い、「先進国」の地位を失うことになることは必至です。

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