戦後に限定しても、日本経済はいろいろな時代を経てきました。その中で、人々の働き方も変化を遂げてきました。ここでは、1980年代頃から今にいたる変化について、個人として感じてきたことを書いておきたいと思います。
目次
30年前の働き方
働き方について、30年以上前は、次の単純な図式で表現できるほどでした。
男子 → 正社員として働け 定時に帰れるなどとは思うなよ。
女子 → 新卒後はOL(オフィス・レディー)として結婚するまで働け。子育てが一段落したら扶養範囲内のパートタイムで働いて。
露骨な男尊女卑だと思われる方が多いかと思います。男は仕事、女は家庭という役割分担が当然とされていた時代でした。しかし、男女雇用機会均等法の施行以来、徐々にこのような図式は次第に崩れては来ました。とはいえ、たとえば、女性の就業率でのM字カーブがまだまだ解消されていないのが現状です。このM字カーブとは、結婚や出産で退職することで、女性の就業率が、20代後半から30代にかけていったん下がり、子育てが一段落してから、パートなどで再び就業することで就業率が高くなるということです。
かつての働き方について、ややデフォルメして言うなら、男子は、会社に身も心も縛られて生きることが強要されていました。そのかわり、男子は結婚すると扶養手当など、家族を養うための手当が用意されていました。女子は「職場の花」として、お茶くみとコピー取りや受付をしていればいいんだという考え方が、多くの企業にはありました。(今でも、そんな企業はあるようですが)
こうした、男女の扱いの違いは、「男は外で働き、女は家庭を守るべきである」という労働観、家族観に基づいていました。この考え方は、それほど遠くない昔には100%近い常識でした。今でも、それは常識だと考える人は少なくないように思われます。
日本では、特に明治以降に、男は働き手で納税・徴兵の対象とされ、女性は、それを家庭で下支えするという形ができあがったように思います。
戦後は徴兵制はなくなりましたが、その代わりに働いて働いて経済発展に貢献することが男子に求められました。そして、女子は家庭でその男子を支えるものという位置づけも継続されたと見えます。
「猛烈社員」、「企業戦士」ということばは、現実をありのままに示すことばでした。
家族を守りたかったらしっかり働け、会社は運命共同体だ、お前と家族の面倒はそれなりに見てやるから、会社に忠誠を尽くして定年まで勤め上げろ。
そのような考え方が、社会全体で受けいれられていたように思います。
1日あたりの労働時間の長さ、週六日制が標準という休暇の少なさなど、働く現場の実態から推測すると、おそらくは、過労死は今以上に多かったのではないかと思います。今のように「過労死」ということばもその認定基準すらなかった時代ですから。私が学生だった時代は、こういう時代でした。
フリーターが登場した時代
フォークグループ、バンバンのヒット曲、「いちご白書をもう一度」(作詞・作曲:荒井由実[当時]1975年)にある、次の歌詞の一部を思い出します。
就職が決まって
髪をきってきた時
もう若くないさと
君に言い訳したね「いちご白書をもう一度」より
この歌詞の部分は、就職は青春の終わりを意味するようなやや寂しい響きがあります。ひとたび就職してしまえば、その後は、ただただ己を捨てて朝から晩まで働くのみ。それが当たり前というイメージが、当時の学生にはあったと思います。
正社員として働くことが当たり前の時代でした。アルバイトは学生がするもので、パートタイムは主婦がするものであって、それ以外の人が正社員以外で働くのは異常なこととして見られました。
これは、今の時代からみると良い時代だったともいえます。正社員になりたくてもなれない人が多くいる中で、正社員が当たり前ということだったのですから。
この歌のヒットから10年ほど過ぎた1980年代半ばに、フリーター(フリーアルバイター)が新しいタイプの働き方をする人々として注目されました。
この時代は、1985年のプラザ合意によって一時、円高不況に陥ったものの、その後は1986年から平成景気やバブル景気といわれる好況になりました。アルバイトの時給も上昇しました。
そのため、アルバイトだけで生活しながら、正社員とは比べものにならないほどの自由な時間を使って、バンド活動や演劇など、自分の本来の目標に向かって頑張ることができたのです。当時、正社員として働いていたものにとっては、うらやましい思いがありました。
バブル崩壊後のフリーターの変容
しかし、バブルがはじけて長期の不況が始まると、次第にフリーターは、不本意ながらアルバイトやパートに甘んじる人に変わっていきました。たとえ大学を卒業しても、正規の職に就けない人が増えたからです。かつての目標のある積極的フリーターから不本意な消極的フリーターへの世代交代が進んでいきました。
バブル崩壊後は、フリーターの意味合いが大きく変容したことは確かです。
また、派遣労働の職種が次第に拡大され、派遣労働者も増えていきました。2008年のリーマンショックの時、いわゆる「派遣切り」によって、仕事を失うだけでなく、さらに社宅・社員寮も追い出された人々が多く出たことがありました。
今では、非正規雇用が賃金労働者の4割を占めるようになっています。
これについては、いろいろな見方があります。たとえば、非正規雇用の増加は、団塊の世代が定年を迎えて、嘱託社員などとして働いている人が増えたといわれます。この人たちは、貯金があり、退職金もそれなりにもらったので、今までより安い賃金でも、収入ゼロよりはましだということで働いているということです。もちろん、年金が満額支給となるまで、収入が必要だからという事情もあります。
ただ、すべてがこのような経済的に安泰な人々ばかりではないということはいえると思います。この30年のうちでも不況は何回かありましたが、定年まで勤めるはずが、それまでに会社が不況によって倒産してしまったり、リストラされたりし、正社員での職が得られず仕方なく非正規雇用で生計を立てている人もいるのです。
非正規雇用者が増えているということは、雇用者全体の賃金は減少しているということがあります。非正規雇用が増えたのは定年退職者が非正規労働者になったためだから、別に問題ないというだけでは、認識が不十分です。どんな身分であれ、働いているからには、それなりの生活のできる収入があってしかるべきです。
政府もこのことを問題にして、「同一労働同一賃金」ということを数年前から言うようになりました。これが実現できれば良いのですが、今の日本社会で実現できるかどうかというと、まだまだ難しいように思います。
非正規労働者が増えることの問題
いつの頃からか、正規と非正規の関係が変わってきた気がします。かつて正社員の労働条件の改善のために非正規を使ってきた時代では、業種にもよりますが、正社員は、バイトやパートに対してもう少し気を遣っていたようように思うのです。自分たちを手伝いに来てくれている人だという意識があったのではないかということです。
しかし、不況が続くと、企業も役所も人件費という経費を削減する目的で、非正規を雇うようになりました。本来は正社員や正職員がすべき仕事も、非正規社員や臨時職員にさせるようになりました。非正規であっても、正規と同じかそれに近い仕事の量と質と責任を求めるようになっていきました。
人件費削減のための非正規雇用ですので、賃金は時給何円によって決まる、いわゆる日給月給です。勤務した日数で、受け取る給料が決まります。年末年始やゴールデンウィークなどで休みがあれば、翌月の受取金額は通常月よりは低くなります。祝祭日が多い月の給料が下がってしまう人にとっては、休みはありがたくも何ともありません。
正社員にとっては、祝祭日が多い月は勤務日数が少なくても、同じ給料が支給されるので、ありがたいということになります。この違いは、あって当然のことなのでしょうか。同じ仕事をしていてもこの違いがあることは、採用された経緯の違いだけで正当化されるのでしょうか。
公務員に関していうと、求人サイトなどでは国や地方の役所関係(外郭団体も含めて)の仕事がこんなにも多いのかと驚きます。これは、明らかに人件費を削減するためです。公的機関で個人情報を扱う職員が、非正規雇用でいいのかと疑問を感じることもあります。非正規で雇うのではなく正規で雇うべきではと私は思います。
高度成長期やバブル期の景気が良かった頃は、公務員は給料が安いといわれた職業でした。しかし、長期の不況の中で、公務員のほうが民間(特に大多数を占める中小企業・零細企業)に比べて相対的に給料が高くなりました。そして、役所の財政も、税収が減少することで苦しくなっているのに、高給をもらっているとは何ごとかという公務員バッシングが起こりました。公務員の人件費削減を公約にする、地方自治体の首長が支持されるようにもなりました。確かに、非正規の公務員が増えたのは、限られた予算の中で、正規の公務員の待遇を維持するための方策という側面があります。
公務員すべてが税金泥棒のような仕事をしているわけではありません。偉そうな態度で納税者である民間人を見下すような公務員は辞めてもらうべきだと、私も強く思いますが。
しかし、安い給料でも住民や国民のために頑張っている公務員もたくさんいます。そもそも、市場経済として成立しないけれども社会にとって必要な仕事をするのが公務員です。誰かがやらなければならない仕事です。過大な賃金を払うのは納得できませんが、競争による淘汰を受けない業務を、安価な賃金でまかなおうというのは、あまりにも安易なやり方だとは思います。
つまり、競争があれば、低賃金で集まった人による質の低いサービスを提供している企業は顧客を失い、売り上げも減らしてしまいます。しかし、役所にはそのような競争がないので、極論すると、サービスの質などどうでもよいのです。結果として、行政サービスを受ける納税者が、質の悪いサービスしか受けられなくなります。
役所の窓口で、詳しい法知識がない人しかいなくて、マニュアルに書かれた内容でしか対応できないとしたらどうでしょう。もし、マニュアルに書き漏れていることがあれば、本来受けられるはずのサービスも受けられないことも起こります。
ブラック企業・ブラックバイト
ブラック企業
近年、「ブラック企業」が問題視されるようになりました。明確な定義はないのかもしれませんが、少なくとも、労働基準法に違反している企業はブラックでしょう。
しかし、そんな企業は昔から山のようにありました。露骨にやり過ぎない程度に、グレーゾーンでやっているとか、法律の趣旨から外れていても、形式的には遵守しているように見せかけている企業は多いのではないでしょうか。私が若かった頃、世間では今で言うブラック企業に近い企業だらけだったのではという印象があります。
しかしそれでも、今のブラック企業は度を過ぎた企業のようです。コンプライアンスがいわれるようになっている今でも、平気で労働三法などの法令を無視しているような企業があり、そんな企業が平然と新卒者を採用していることには驚きます。
私が若い頃に勤めた会社は、労働基準法と労働組合法を破っている疑いが否定できない企業でした。また、会社に批判的な社員は別室に呼び出し、態度をあらためるように強要するような、今で言うパワハラに限りなく近いこともやっていたようです。私が入社したころは、それはやめていたようですが。
あの時代は、そんな企業は中小では当たり前のように存在していたのでしょう。しかし、それでも、人を使い捨てにするのではなく、定年まで勤めてもらおうという会社の意思は感じました。その点では、はじめから若い社員を使い捨てにしようという、今あるような最悪のブラック企業とまではいえなかったよう思います。
今では、正社員として働きたいという切実な思いを利用して、人を育てるのではなく、人を使い捨てにしようというブラック企業が登場してしまいました。
昔の「猛烈社員」「企業戦士」は、がんばれば昇給もあり、賞与も上がり、昇進もするという年功序列、終身雇用という制度があったからこそあり得たとも思います。働く側にとっては、生活の保障があったからこそがんばれたわけです。しかし、ブラック企業は、そういう生活の保障をする意思もないのに、目先の利益だけを考えます。若い人材の安い人件費で働いてもらいたいので、数年したらやめてもらう方がありがたいわけです。やめてくれれば、また、次の賃金が安くつく若い人を雇えばいいわけですから。
ブラックバイト
また、ブラックバイトも問題になっています。若く元気でまじめに働いてくれる学生アルバイトは、かつての集団就職で都会へ来た中卒や高卒の労働者のような「金の卵」といえるかもしれません。
高度経済成長期は、まだまだ日本全体は貧しい時代でした。特に工業地帯以外の農村部では、長男以外の弟や妹たちは、実家の農家を継ぐこともできないし、都会へ就職して安定した収入を稼ぐことが安泰な進路として存在していました。工業が急成長しつつあり、工場での人手が不足する状況でしたので、企業は「金の卵」として積極的に採用しました。NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』では、上野駅に集団就職生が集まるシーンが描かれていました。
現代の「金の卵」は、悪意のある企業にとっては、高校生や大学生なのかもしれません。遊ぶためのお金を稼ぐ学生ではなく、生活費や授業料を稼ぐために働かざるをえない学生は、少々つらいことがあっても、我慢してがんばります。その弱みにつけ込んでいるようなアルバイトの雇い方が、最悪のブラックバイトといえると思います。
定期試験の前に休ませてくれないとか、やめたくてもかわりの人を見つけないとやめられないというような話はよく聞きます。塾のアルバイトでは、授業時間分のみにバイト代が支給されますが、授業の準備、テストの採点、教室の掃除には支給されないということもあります。
学生をアルバイトとして雇う以上は、学生の事情を考慮してしかるべきだと思います。しかし、本来は正社員に要求するようなことを安い賃金のアルバイト学生に要求するのは、経営姿勢としておかしいことだと感じます。
また、学生は人生経験が浅いこともあり、労働法に無知な人が多いことにつけ込んでいるのでは、と思われる企業も存在します。一定の労働時間を満たしていても、有給休暇を与えないとか、基準を満たしていても社会保険に加入させていないとか、所得税を源泉徴収していても年末調整をしていないような場合、多くの学生は気づかないままです。学生の場合、所得税の源泉徴収分のかなりの額は還付されるではないかと思います。
たとえアルバイトであっても働いている学生さんは、労働法や税制についての知識を身につけてほしいと思います。これは、ブラックバイトから身を守る大切な手段です。中学校や高校から、抽象的な法知識だけでなく、身を守るために実際に役に立つ法知識を授業でもっと教える必要があると思います。
結び これからの働き方を考えなおすべき時代です
働くものには厳しい時代です
昨今、株価も上がり、企業の業績も伸びているといわれますが、実質賃金はむしろ低下しているともいわれます。公的年金や介護保険・健康保険の保険料も毎年のように増えていきますし、円安が原材料費を押し上げ、食料品や日用品の値上げも続いています。政府が期待していたトリクルダウンも、思うようには実現していないともいわれます。
また、来年度以降の税制も、個人からの徴税を増やすような方針が決まっています。年金や健康保険制度もこの先どうなるかよくわからない状況です。あいかわらず、一般人には厳しい生活環境が続きそうです。若い人も、中年の働き盛りの人も、高齢者も、ほとんどの人々が経済的には安泰ではない状態が続きそうです。
働くものにとって、高度経済成長期は良かったと思います。まじめに働いていれば、収入も次第に上がっていき、安定した生活が保障されていたからです。その後にやってきたのが、バブル景気(平成景気)の時代です。個人的にバブル期の景気過熱は異常に感じました。今となっては、バブル期もなつかしい時代ですが、私はそれで儲けるほどの投資資金をもっていませんでしたので、蚊帳の外におりました。しかし、もうあのような時代は期待できないでしょう。もし、あんな状況ができても、それに踊るような人は少ないのかもしれません。バブルの後の落ち込みがどれだけ悲惨だったかを皆が知っているからです。
設備投資や消費の拡大による経済成長は期待できない時代、また、バブルにも期待も持てない時代に私たちは生きています。
厳しい時代ですが生き抜くしかありません
ここのところ、大企業の不祥事がいろいろニュースになっています。不祥事のために倒産するか、他の企業に吸収合併されるのではないかと思われるような大企業も存在します。かつては、大企業に就職できたら、死ぬまで安泰だと思われていたのですが、もはやそんなことは夢物語になってしまいました。今、問題になっていない企業でも、明日は何かの不祥事が公になるかもしれません。
こんな状況にあって、私たちはどんな働き方をするのがいいのかといろいろと思います。働くものが、一生懸命に努力しても、報われないことが多く見受けられますし。
これからの働き方にはいろいろな選択肢があるでしょうが、これしかないというものはなかなか見つからないのが今の時代だと思います。個人個人が、自分の生き方や働き方を考えていくしかない状況になっているよう思います。もはや、敷かれたレールはないのです。