もうニュースとしてはだいぶん前になりましたが、文化庁の「国語に関する世論調査」の結果(http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/r1393038_02.pdf)がありました。新聞などで読まれた方も多いと思います。これを読んで、ちょっと考えてみました。
憮然の意味
たとえば、「憮然(ぶぜん)」ということばの意味は、「腹を立てている様子」ではなく、「失望してぼんやりとしている様子」です。
この調査結果の概要に次のような解説文が出ています。
年齢別に見ると,「腹を立てている様子」は, 50代以上で他の年代より高く6割台前半となっている。
本来の意味とされる「失望してぼんやりとしている様子」は,
20~30代で 4割台後半,
16~19歳で69.5%となり,
30代以下では「失望してぼんやりとしている様子」が「腹を立てている様子」を上回っている。
平成30年度「国語に関する世論調査」の結果の概要(文化庁)より(改行は引用者)
これに関して、次のようなグラフが掲載されています。
また、平成19年の調査では、次のようなグラフが掲載されています。
平成30年度と19年度を比較すると、全体に30年度では、誤りである「腹を立てている様子」が減っています。
そして、とてもはっきりした違いは、16~19歳の「失望してぼんやりしている様子」という正解が19年度の36.3%から69.5%に増えていることです。
もしかすると国語の教科書などに、「憮然」の本来の意味がしっかりと掲載されるようになったのかもしれません。
私も恥ずかしながら間違いの「腹を立てている様子」と思っていた口です。
自分の間違いに結構な年齢になってから気づくことはよくあります。いくつになっても学び続けるしかないなと思い知らされます。
また、人の間違いを笑ってはいけないということも、あらためて思います。
しかし、30代以降は7割が「腹を立てている様子」と答えているところからすると、現実には、この意味で使われていることが多いと言えそうです。
たとえば、「用例.jp」(http://yourei.jp/)というサイトには、「憮然」で検索して出てくる用例が、明らかに「失望してぼんやりしている様子」という意味の正しい用法であるものだけでなく、意味の判然としないもの、おそらくは誤用の方の意味で使っているのではないかと思われるものを見ることができます。
誤用でも、それが圧倒的多数派になれば、正用法に変わるということもあるのですが、「憮然」に関してはそうはいきません。
若い人の多数が本来の意味で理解しているので、誤った意味で使うと通じないからです。
「御の字」「砂をかむよう」
さて、この平成30年度の調査では、「御の字」や「砂をかむよう」も調べられています。
「御の字」は、私の場合は、自らこのことばを使うことはありませんでした。読んだり聞いたりした場合は、まあ「一応納得できる」よりは「大いに有り難い」の意味で読み取っていたと思います。しかし、実際にアンケートに答えるときは、ちょっと迷いながら「二つの意味の両方」に○をつけていたかもしれません。
この「御の字」の解答結果は、誤用の「一応納得できる」が46.6%、正解の「大いに有り難い」が49.9%ということです。
年代で見ると、20代以上では、誤用の「一応納得できる」が50%前後で多数派を占めています。しかし、16~19歳では61%で、「憮然」とは逆に誤用が他の年代よりも10ポイントほど高いという結果です。
「砂をかむよう」は、「悔しくてたまらない様子」が56.9%、「無味乾燥でつまらない様子」が32.1%で、こちらも本来の意味を応えた人の方が少ないという結果でした。
私の年代以上ならば、高石友也さんのフォークソング、「受験生ブルース」の「・・・ 砂をかむよな味気ない 僕の話を聞いとくれ ・・・」という歌詞が記憶にある人は多いでしょう。
この歌詞では「無味乾燥でつまらない様子」という意味で使われていますので、この歌を知っている人は、本来の意味を解答できたのではないかと思います。
「砂をかむよう」については、年代別のグラフが掲載されていないので、世代ごとの意味理解の割合が確認はできないのが残念ですが。
「役不足」「気が置けない」
意味が誤解されると、人間関係にひびが入るようなことばもあります。
たとえば、「役不足」とか「気が置けない」などはそういう語になりそうです。
しかも、これらは、本来の意味とは違う意味で理解されていることが多い傾向にありますので危険な語です。
これらの語も、過去に「国語に関する世論調査」で調査されています。
文化庁のサイトに「文化庁月報」のバックナンバーが掲載されています。http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/23_backnumber.html
この月報の中に「言葉のQ&A」というコラムが載っています。参考にしてみてください。
「役不足」
たとえば「役不足」は、「ある役目にたいして能力が不足しているのではなく、その人の能力からすると役目が軽すぎる」ことを意味します。
しかし、能力が不足していると理解している人の方が多いようです。
「役不足」については、『文化庁月報』には、例文として、
「部長,どうして私をプロジェクトチームに入れてくださらなかったのですか。」
「君を外したのは,役不足だったからだよ。」(文化庁月報 平成24年2月号)
という会話が挙げられています。
こういう場合は、たとえば、「君を外したのは、あのプロジェクトチームよりももっと高度なチームに入ってもらいたいからだよ」と答えておけば、部下が「役不足」を正しく理解していなかったとしても誤解が生じないでしょう。
「気が置けない」
「気が置けない」も、本来の「気を遣(つか)う必要がない」という意味とは反対の意味で理解している人がやや多い語です。
平成18年度の「国語に関する世論調査」では「相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと」と答えた人が42.4%、「相手に気配りや遠慮をしなくてはならないこと」と答えた人が48.2%と、誤った意味で理解している人の方が多くなっています。
「あの人は気が置けない人だ」と、よい意味で使っても、「あの人は油断ができない人だ」というような、反対の意味にとられる可能性があります。
この誤解を避けるためには、「気が置けない」という言い方はやめて、「あの人は気を遣う必要がない人だ」「あの人は遠慮のいらない人だ」、「気が許せる人だ」などと言い換えれば済みます。
誤解される可能性のある語は使わないようにする
こういうことばは、たとえ正しい意味で使ったとしても、相手が違う意味で理解しているために、意味が通じないだけでなく、誤解を与える心配があります。これで良好な人間関係が崩れるようなことがあっては、まずいですね。
家庭や職場のように数十年の差がある年齢の人間が集まる場では、世代差による意味理解の違いがあるかもしれません。
そうすると、こういうことばは使わないようにするのが、賢い道ですね。
正しいか間違いかに関係なく、意味が正しく理解されていない可能性が高いと思われることばは(単語も慣用句も)避けて、他のことばで言い換えるという道です。
自分が使い慣れた慣用句でも、相手が違う意味で理解する可能性がありますので、つい何気なく使ってしまうと、相手を傷つけてしまうかもしれません。
ことばを発するときは、思ったことをすぐに口にするのではなく、一息置いてからするようにしたいものです。発しようとしていることばが、相手に誤解されないかどうか、いったん立ち止まって考えた方がよいですね。これは、上記のような意味が誤解されやすいことばにかぎったことではないですが。
また、外国の方と日本語を使ってコミュニケーションをはかる機会も増えています。この場合も、よりわかりやすい表現を使うように心がけないと、うまく伝わらないことになるでしょう。
母国語は空気のように身近なものですが、これをちゃんと使いこなすのはなかなか難しいものです。