失恋したときは、だれもが「失恋ほどつらいものはない」と思うでしょう。何かもう目の前すべてが真っ暗で、絶望的な気持ちです。
しかし、失恋こそ人生でもっとも貴重な経験だと私は思うのです。
目次
人を好きになったことはすばらしいことです
人生には失恋以上につらいことがたくさんあります。失恋したということは、たとえ片思いであれ、だれかに恋をしたということです。人を好きになることができたなんて、そのこと自体がすばらしいことです。
人を好きになるということは生きている証(あかし)といえます。人がある人に恋するときには、心が躍動しています。
本当に恋をする人の心は純粋です。恋する人はその人のことを心から大切に思っています。理想主義者やロマンチストでなくても一度でも恋をしたことがある人なら、この気持ちはわかっていただけると思います。
たとえば、小学生や中学生のとき、本当に好きな相手について、「お前、○○のことが好きなんだって」とからかわれた人もいるでしょう。そのときにいくらかの不快感があったのではないかと思います。その不快感の中には、冷やかされて自分が恥ずかしいという気持ちだけでなく、自分が好きな人も自分と同じようにからかわれるのではないかという相手を心配する気持ちが含まれていたのではないでしょうか。片思いであったとしても実際につきあっていたとしても、どちらであったとしても本当に好きな人のことを思いやるのではないかと思います。
自分のことだけなら仕方がないとしても、相手までもおとしめられるようなことがあっては、本当に好きな相手に対して申し訳ないという気持ちを感じた人も多いのではないでしょうか。
「恋」は好きな人にあこがれる愛・求める愛で、「愛」は好きな人を守ろうとする愛・与える愛という風に区別されることもあります。しかし、厳密に区別することなど、本当はできないのではないでしょうか。自分のあこがれる人が幸せであってほしいと思うことの方が自然な心のあり方だと思います。アイドルのファンの方々は、そのアイドルの仕合わせを願っていると思います。ただ、アイドルの熱愛報道や結婚報道には耐えられないかもしれませんが。
失恋の諸相
一口に失恋といっても、いくつかの段階に分けられます。たとえば、次の3つのような段階です。
1 片思いの人に思い切ってデートを誘ったけれどもあっさり断られた
2 何回かデートを重ねて、告白したら、「ごめんなさい」といわれた
3 すでに恋人として交際してきたが、その人に「もう別れたい」といわれた
初期の段階と、それなりに交際期間を経た段階では、心の痛手も違うでしょう。年齢によっても、1の段階の経験が多い時期から、次第に2や3の段階の経験をすることになっていくでしょう。いずれの経験も、人生を生きていく上でたいへん役に立つと思います。
この人が好きで、この人ともっと話がしたい、この人と一緒に同じ景色を見てみたいと思う人がいたら、積極的にデートに誘ってみるべきです。自然と仲良くなって、今度どこどこへ行こうという話になると楽なのですが、現実はなかなかそうはいきません。思い切って行動するしかありません。行動しなければ、あの大好きな人が自分以外のだれかとつきあってしまうかもしれません。そうだとすれば、自分が積極的に誘うしかありません。もしかすると、あの大好きな人は自分を待っているかもしれません。
これは、男性側の話と思われる方が多いかもしれません。しかし、女性の方から好きな男性をデートに誘ってはいけないことなど何もありません。少なくとも男性の私はそう思います。相手が「草食男子」なら、なおさら女性の方から積極的にアタックするべきだと思います。
もし、ノーといわれても、相手の断り方によってはそれですべてが終わりとは限りません。しかし、これが全く脈なしのノーの返事なら、これは、先の1ですね。
誘い方が悪かったのかなという場合も皆無ではないでしょうが、多くは、相手が自分に興味がない、好きではない、否むしろ嫌いだというようなさまざまな原因があるでしょう。こればかりは、努力ではどうしようもできないものです。縁がなかったとあきらめるしかありません。しつこく追いかけたりするとストーカーかと思われてしまいますし。
失恋は人生のとって大きな学びです
この失恋にいたるまでの一連の経緯から、私たちは身をもっていろいろと学ぶことができます。
1 片思いの人に思い切ってデートを誘ったけれどもあっさり断られた
この段階で、私たちは次のことを学べるのではないでしょうか。
a 思い切って行動することはそれほど難しいことではない。行動せずに機を逃すよりは、行動して失敗する方が、得ることが多い。
b 人生では得られないもののほうがたくさんあり、これをあきらめることも人生には必要だ。
c 相性や縁はあるもので、これは個人の努力を超えている面が多い。失敗してもくよくよせず、新しい出会いに向かって一からやり直すことが生産的だ。
もし、あなたにとって何の興味もない商品を売ろうとするセールスマンが家に来ても、まず会うことすらしないでしょう。また、あなたがセールスマンなら、ああこの家は駄目だったと、隣の家の呼び鈴を鳴らすでしょう。
就活でつらい思いをされている方々も同じです。内定が取れないと心が傷つきますが、自分が悪いのではなく、企業も自分も、お互いに求めているものが違っていただけに過ぎないと考えれば、「ま、いいか」と思えます。実際、そんなものです。採用担当者には基準がありますが、それは就活生にはわからないことの方が多いのです。たとえば、世間一般のマニュアル通りに面接で答える学生を求めている企業もあれば、そういう学生は絶対に採用しない企業もあるのですから。
恋とセールス、就活は同じに論じられませんが、何につけ、断られることこそが当たり前のことです。その前提で、何ごとも考えるべきです。
しかし、ニッチで高額な商品でも本当にそれがほしい人は必ずどこかにいるはずです。自分こそがニッチで高額な人間なんだというくらいに思えばよいのです。
2 何回かデートを重ねて、告白したら、「ごめんなさい」といわれた
2の段階での失恋も役に立つことばかりです。デートを何回かできたということは、まず相手は、自分に対して一定の関心をもってくれたということです。いくら自分が「モテナイ」と思っていても、世の中には、そんな自分に関心を持つような人が、少なからずいることを知っただけでも大きな収穫です。しかし、相手はデートの内容やこちらの行動、性格、話の内容などいろいろなところを見た上で、やっぱりだめだと判断したはずです。
ここでも、相性や縁によってだめだったということができますが、反省すべき点がさまざまに浮かんでくるはずです。身だしなみ、言葉づかい、デートコースなど表面的なことから始まって、本当に相手の気持ちを思いやることができたか、相手に不快な思いをさせなかったか、相手を楽しませることができたか、相手の話をちゃんと聞いていたか等々、いろいろと反省点があるはずです。自分でこれが失敗だったと思えるところが見つけられたら、それだけでも大きな進歩です。
また、この段階でも、最終的には相性や縁です。何回か会っただけでは本当のその人のことはわかりません。相手は、本当に自分のすべてを知らないけれども、それでも、この人とはだめだと感じたのです。こればかりは、どうしようもありません。ここでも、就活でいいうと最終面接で落とされたのと同様に、「この価値ある人間の真価を認められなかった相手に見る目がなかったのさ」というくらいに思っておけばよいのです。これからは、さらに自分に磨きをかけるように努力すればよいだけです。
3 すでに恋人として交際してきたが、その人に「もう別れたい」といわれた
3つ目の段階は、より長い期間、相手の人が自分を見てきた上での判断が下されました。これは、今までに比べると、ショックも大きいかもしれません。何しろ、いったんは相手の人も自分を認めてくれ、好きだと思ってくれていたはずです。それにもかかわらず、自分のいろいろな点を見て、こりゃだめだと思ったのですから、自分にたくさんの非があるはずです。相手のことが好きだったならば、かなり心のダメージも受けるかもしれません。しかし、これもまた、突き詰めれば、縁がなかったということにしか過ぎません。
もちろん、反省点も今まで以上にたくさんピックアップできるでしょう。これは、自分のマイナス部分として、素直に認めて大いに反省し改善すべきでしょう。
この段階では、人間性の問題が関わってきますので、もし、明らかに自分のこういう点がだめだったと気づくことができれば、人間として成長できます。
これこれの場面で、相手に不快な思いをさせてしまったかもしれない、相手が悩んでいるとき、本当の相談相手になれなかったかもしれない。相手の人が嬉しいとき、自分も同じように共感できていなかったかもしれない。自分のことばかり考えていたかもしれない。自分が相手に要求ばかりしていたかもしれない等々。反省点は山のように思い出すことができるでしょう。
どうしても気づくことができなったなら、それはそれで無理に反省する必要はないと思います。相手がわがままなだけの人だったのかもしれません。それならば、ここで別れて良かったと思いましょう。これからまた、こんな自分でも良いと認めてくれる人を、一から探しましょう。
失恋こそ希望です
失恋は心が傷つき、しばらく何をする気も起こらないような、憂鬱な気分にさせるものです。このつらさは、あまり味わいたくないですね。私も、いったいいくつ経験したのか数えきれないほど、多くの人に振られ続けてきました。今思い出すとこれは日にち薬で、いくら心が落ち込んでしまっても数週間もすれば、心は吹っ切れます。むしろ、失恋することは、自分のだめなところを学んだり、自分をより高めようと奮い立たせてくれたり、結果的にはプラスの作用をたくさん得たように思います。
もし、今、あなたが失恋でつらい思いをしていらっしゃるとしても、近いうちに、自分の良さを見抜けなかった相手の方が悪いのだというくらいの気持ちになれるはずです。
結論
失恋は、人生の年代では比較的若い時期に経験することです。これからの人生に遭遇するつらいことの数々の予行演習のようなものです。
今、失恋のためにつらい思いをしていても、次という希望があることは、だれにでも平等に与えられています。日本だけでも、何千万人の恋人予備軍がいます。
人生の困難にぶつかったとき、あのときあれほどの絶望を感じた失恋が、実は何てしあわせなことだったんだと思うことが、この私にも何度もありました。
人に恋することは、むしろ、青春の美しい思い出の一つになります。(「青春」は今では死語になっているかもしれませんが)
たとえ悲恋であったとしても、恋は美しいものです。
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に (後略)「ゴンドラの唄」1915年(大正4年)吉井勇作詞 中山晋平作曲より
今では、このような歌は共感が得られないかもしれません。「いのち短し 恋せよ乙女」とは、女性の魅力はそれほど長くは続かないということでしょう。しかし、今は性別や年齢に関係なく、いつまでも若々しい人に満ちています。
恋は性別や年齢に関係なく、平等にだれにでもできるものです。躊躇するのはもうやめましょう。万が一あっさり振られてしまっても、それはそれで恥ずかしいことでも、恐れることでもありません。今はもう、恋することは一生ありという時代になっていると思います。
そうはいっても、特に若い人にはぜひ、積極的に恋をしてほしいと思います。まだまだ、人生の先は長いですので、ポジティブに生きましょう。
告白をためらっている人は、自分を奮い立たせてアタックしてください。
今回振られてしまった人は、心が癒えたら、また次も果敢にアタックしてほしいと思います。