// // 太宰治について思うこと   もと「隠れ太宰」より

太宰治について思うこと   もと「隠れ太宰」より

太宰治 By Tamura Shigeru (田村茂) , via Wikimedia Commons

いつだったか、芸人で作家の又吉直樹氏が芥川賞受賞後に、あるテレビの番組で太宰文学の影響を受けた旨のことを語っておられました。その詳細は忘れてしまいましたが、太宰のことを熱心に語っておられたことは強く印象に残っています。

そのときまで、太宰治のことは、自分の頭の中からほぼ消えてました。しかし、又吉氏のお話を聞いて、かつて、自分も太宰治に夢中になっていたことを思い出しました。

太宰治の作品に初めて触れたのは「走れメロス」でした。中学校の国語の教科書に載っていたからです。そのときは、メロスの正義感や友情という道徳的な内容という印象しかありませんでした。

高校の教科書でも太宰の作品がありました。「新樹の言葉」でした。当時の「現代国語」、今でいうと「現代文」という科目の授業で、その担当の先生のちょっとニヒルな風貌と、眠くなるような話し方が好きだったこともあり、とても感銘を受けました。

それ以来、太宰治に関心を持つようになりました。当時、新潮文庫でたくさんの作品が出ていましたが、文庫本で読める太宰作品は、ほぼすべて読みました。繰り返し読んだ作品もいくつかあります。

今では、「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)で、たくさんの太宰作品が読めます。先ほど、「新樹の言葉」をなつかしく感じながら読みました。さわやかな読後感がある作品です。高校1年のときの授業も思い出され、当時の自分の感性がよみがえってくるような錯覚すらおぼえました。

前向きに生きようとしていたであろう当時の太宰治の心が、作品に反映されているのでしょう。平易な文章でありながら、主人公の心の動きもわかりやすく表現されていて、高校1年生の教科書に掲載するのにはちょうどよい作品だと思いました。

「隠れ太宰」ということばがありました。太宰が好きだということを他人にいうのが恥ずかしくて、密かに太宰文学を愛好している人のことです。あの頃の私も、友人に太宰治を熱心に読んでいることは、秘密にしていました。

たまたま、新潮文庫の短編集『走れメロス』を電車の中で読んでいたとき、私に声をかけてきた友人が、なんで「走れメロス」なんか読んでるの?、と不思議そうに訊いてきたことがありました。彼にしてみれば、中学校のときに国語で習った小説を、なぜ、高校生になってもわざわざ読んでいるのか疑問に感じたのでしょう。私は、太宰にはまっているとはいえずに、「へへへ」と適当にごまかしました。

「隠れ太宰」をグーグルで検索してみましたら、9番目に「かくれ太宰ファン」の用例が出てきました。しかし、それ以外はほとんど出てきませんでした。「”かくれ太宰”」とダブルクォーテーションで囲むと、6件だけヒットしました。「隠れ太宰」ということばは、少なくともネット上では、あまり一般的なことばではないようです。

今では、「隠れる」必要もないのかもしれません。堂々と、「太宰が好き」といえる時代になったのかもしれません。あるいは、太宰ファンの数自体が減ってしまったために、用例が少なくなっているということなのでしょうか。

その隠れ太宰ファンだった高校生の頃、『月刊ポエム』という雑誌で太宰治特集をしていたので、喜んで買いました。今でも、大切にもっています。(押し入れの奥に眠っているはずです。)

その中で、一番印象に残っているのが、水木しげる氏の寄稿です。今でもよく覚えていますが、「病める魂」と題された文章には、太宰への嫌悪感が強く表現されていました。当時の私はその文章に激しく反発したのを覚えています。

しかし、今では、水木氏が太宰治に嫌悪感をいだかれた理由はよく理解できます。

水木氏は、画家を志望しましたが、太平洋戦争の時代に徴兵され、戦場で片腕を失うほどの大きな負傷をされました。それでも命からがら復員され、戦後も生活のために苦労された経験をおもちの方です。命の大切さをだれよりも実感されたと思います。

良家のお坊ちゃんで、最高の教育も受けたという恵まれた境遇にあったにもかかわらず、自殺してしまった太宰に、水木氏が何ら共感できず、むしろ反発されたことは、当然のことに思われます。

※ネットを検索してみると、『月刊ポエム』に掲載された水木しげる氏のこの文章を、古書ビビビ店主の徳川龍之介氏がツイッターに画像としてアップされているのを見つけました。1977年4月号の『月刊ポエム』だったのですね。

太宰治について、その文学の世界と、一人の人間としての生き方とをどのように受け止めるかは、いろいろな見方・感じ方があると思います。

私の場合は、20代半ばからは、太宰への関心がしだいに薄れていきました。他の作家に関心が移ったということもありました。そして、小説もだんだんと読まないようになっていきました。私には、文学作品の価値や文学者の生き方を語るだけの資格も能力もありません。

ただ、今でもなお、太宰治の作品は私の心に響いてきます。太宰が入水自殺した年齢をはるかに超えてしまっても、それは関係ないようです。

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