このブログは、アラ還オヤジとして書き始めたのですが、それからけっこうな年月が過ぎました。
ふと気づくと還暦を何年も越えて、前期高齢者になろうかという年齢になってしまいました。
「光陰矢の如し」と言われますが、本当に時間のたつのは早いものです。私も、そのうち気がつくと死んでいたということになるのでしょう。
昨今、現役世代 対 高齢世代 という対立構図が話題に上ることが多々あります。
高齢者は、現役世代の負担によってぬくぬくと暮しているというイメージが日本社会の中に蔓延しているように感じます。
しかし、現実はそう単純ではありません。
確かに、私の親の世代(今は90歳代以上)は、年金でも私たちの世代よりは恵まれているようです。しかし、その子供である私たちの世代は、親たちに比べると本当に安い年金給付しかありません。
健康保険も、私の親の世代は今は1割負担ですが、私たちが80代・90代になるころには低所得の高齢者でも2割・3割かそれ以上の負担になることも予想されます。
私はまだ働いています(給料は安いです)が、いずれは働けなくなるでしょう。それは自明なことなのですが、そのことを考えるとたいへん不安になります。
働けなくなって給与所得がなくなると、年金給付だけではたいへん生活が苦しくなることが目に見えているからです。
今、高齢者で働いている人がたくさんいます。私の知人には後期高齢者(75歳以上)でも働いている人がいます。近い世代の65歳以上の前期高齢者はもっと多いです。
一般論として、働くことはよいことだ、働けるうちは働いたほうがよいと思います。
しかし、現実は、健康のための運動としてや認知症防止のために働くのではなく、年金が少ないために生活費を稼ぐ目的で働いている人のほうが多いのではないかと思います。
高齢になっても働かないといけないほど年金が少ないのは、若いころに楽をしていたせいだろう、自業自得だと考える人もいるかもしれません。しかし、それは必ずしも当たっていないと私は思います。
年金制度は、かつて私たちの世代が加入した時代からいろいろと変えられています。標準で60歳でもらえるはずだったのが65歳からに変更されました。年金給付額も、小泉純一郎内閣の時代の年金改革以降、実質的に少なくなりました。
私たちの若いころから40代の壮年期のころに想定されていた年金給付よりも、いつの間にかたいへん少なくなってしまったのです。
かつては、まじめに働いていれば60歳を過ぎてそれなりの年金がもらえて、その年金で生活ができるということになっていました。年上の世代もそうしていたので、自分たちの世代も、生活ができるだろうと信じて働いていました。
それが、50代後半を過ぎてから、年金だけでは生活ができないと認識せざるを得なくなったのが、私たちの世代です。
今の若い世代の方々には、すでに年金なんかあてにしていないと考える方も多いでしょう。
そんなことがわかっていたなら、私も若いうちに自力で資産を作っておくべきでした。若い世代の方々からは、そんなことは自明のことだと言われそうです。
しかし、戦後の昭和世代は、まじめに働いていれば、それなりの老後の生活は保証されていると思い込まされていたのです。
日本の公的年金制度は、はじめは積み立て方式でした。生命保険会社の年金積立のように、納めたお金は積み立てられて行き、一定の年齢になるとその積立金から給付されるという制度でした。
しかし、それが今では賦課方式とされていて、若い世代の納める年金保険料から高齢者に給付されるという制度のようになってしまいました。その積み立て方式か賦課方式かという線引きは、実はあいまいなのです。
今でも厚生年金は、払った年金保険料の金額に応じて年金支給額が決まるという方式ですが、これは積み立て方式の名残という見方もあります。
現役世代 対 高齢世代という対立の一つの要因として、この年金制度のあり方があると思われます。
かつて「厚生年金会館」という厚生年金の名を冠した赤字施設が多々ありました。あれは、かつての積み立て方式とみなされていた時代に集めたお金を使って作られたものでした。要するに、大切な年金積立金を無駄に投資してきた歴史があるのです。
日本の年金制度はもともとは積み立て方式であったことは、現役世代の方々にも知っていただきたいと思います。もちろん、現状では賦課方式と説明されており、今は現役世代の負担によって成り立っていることも忘れるつもりはありませんけれども。
年金制度はあてにできないから、自分で老後のお金を蓄えておくんだと考える人は多いでしょう。今の若い世代の方々は、そう考えるのが賢明だと思います。
しかし、気を付けるべきは、インフレがより一層進むこともありうることです。インフレが進むと今の100万円が、30年後に実質50万円の価値にまで目減りする可能性もあることです。
戦前の1円は今の数千円の価値がありましたが、今の1円ではほとんど何も買えません。インフレで、お金の価値がたとえば半分に減ってしまえば、現金資産は半分に減ります。時価1千万円の株式を持っていても、株価が暴落すれば、0円になってしまうこともあります。1億円の土地があっても、地価が下落すれば0円はないにしても、半分以下に下がることもあり得ます。
そんなわけで、個人が自力で資産を維持するのはある程度のリスクがあります。資産をお持ちの方は、そのあたりのことはよくわかっておられることとは思いますが。そこまで考えるなら、現金ではなく純金で持っておくのが最も安全なのでしょう。
社会が安定していれば、個人で資産を蓄えて老後に備えることも可能です。ただ、突然やってくる恐慌や、自然災害や戦争などで資産価値が下がってしまうこともあり得ます。実際、私の祖父母ら(明治30年代生まれ)は、太平洋戦争で多くの資産を失いました。
私は、高齢の親を介護しています。働きながらの介護は経済的にも心身にもなかなかの負担です。
私の親は90代まで認知症を発症することもありませんでした。また、医療費の窓口負担もかつてはほぼゼロ円に近かったのです。そんなわけで40代のころまでは比較的に楽におれたのですが、やがて、高齢者にも医療費の窓口負担がかつてよりも多く課されるようになり、それからは次第にいろいろと負担が増えていきました。
この先、どんな負担があるのか、ある程度は推測できますが、入院するか在宅介護か、あるいは老人ホームに入所するかで大きく経済的負担は変わってきます。
今の40代の方々には、これからご自身の親の医療や介護の問題を避けられなくなると思います。30代の方々も、そう遠い将来ではない時期に、その問題が襲ってくるでしょう。
こういう、親の医療や介護の問題に直面すると、社会保障制度について厭でも知らざるを得なくなります。
社会保障のために集めたお金を、高齢者がたくさん使っていると思うと、高齢者に不満を言いたくなることはあるでしょう。しかし、高齢者の医療や介護の自己負担分は高齢者自身だけでなく、その子供である世代にも関わってきます。
私も、親の医療・介護の費用負担に直面した時に、高齢者の社会保障はその子供世代の負担にかかわってくることを痛感しました。
たとえば、医療費の窓口負担割合でも、0%と1%では比較できないほど無限に多くなったと感じますし、1%と2%では、「倍」違うんですから。5000円だったものが10000円になると考えるとその負担は大きいと思われるに違いありません。
親自身に経済的余裕がある人はそうでもないかもしれませんが、そんな人ばかりではありません。
この先、高齢者の年金給付が減り続け健康保険の窓口負担割合が増えるとしたら、その子供世代が自分の親のための医療・介護費用の負担が求められていくでしょう。
給料から社会保険料が天引きされるうえに、親の医療や介護費用まで負担するとなれば、現役世代としては「なんじゃそりゃ」と言いたくなると思います。
私も、親の医療・介護費を負担してきましたが、年々負担額が増えてきたという風に感じてきました。今の現役世代にとっては、今後は私以上の負担感があると思います。
「日本の社会保障制度の未来は暗い」と言わざるを得ないですね。
この先、日本国民はどうすればよいのでしょう。