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季節と暦について

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「日本には美しい四季があります。」

と、日本を訪れた外国人の方々に説明したいと思うのですが、
ここのところ、春や秋がなくなってしまった、あるいはごく短い季節になってしまっています。もはや、そんなことがとても言えなくなってしまったように感じています。

このごろは、暑い暑いと思っていたら、急に寒くなったり、寒い寒いと思っていたら急に暑くなったりという具合です。

今年(2018年)でも、やたら寒い冬の日々が続いていたかと思うと、急に暖かくなりました。
桜も例年より早く咲きました。
ツツジも藤も同様でした。

季節のなかでは秋が一番好きでした。かつては、9月、10月は次第に涼しくなり、爽やかな風が吹き、11月になると鮮やかな木々の紅葉が見られるようになりました。

今は、9月・10月になってもまだまだ暑い日が多く、10月1日に一斉に衣替えをするというのは難しくなりました。木の葉の色づきは、11月の下旬から12月のはじめまでの短い期間になりました。

私たちの世代が子どもの頃に感じ取った季節感は、すでに失われてしまいました。

外国人の方々に、「日本には寒い冬と暑い夏の二つの季節があります」と説明しなければならない日は、そう遠くないのではとさえ思います。

季節感と12の月は、昔から密接なものでした。

しかし、今のように季節を感じにくくなってしまったら、冬は何月から何月ということもいいにくくなりました。

4月は春のはずですが、今年なんかは、「夏日」が多くありました。

5月になって霜注意報が出たり、真夏日になった地域があったりという日もありました。

春が暑かったり、秋になっても暑かったりというのも当たり前になりました。

そんなことを感じるこのごろですが、ここでは、季節や暦に関することについて、気になったことなどを書いてみたいと思います。

気候が変わってしまったと感じます

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私が小学生であった50年ほど前とくらべて、今はかなり気候は変わったなと実感します。

天気予報で「明日の気温は平年並でしょう」といわれても、私の感覚では、ちょっと高いんじゃないの、と言いたくなることもしばしばです。

ここで言う「平年並」は「平年値」に対して、どれくらいの差があるかということを表しています。気象庁の「季節予報」では、次の基準で「平年並」が使われているようです。

「平年並」の範囲一覧表

季節予報では、気温、降水量等を予報する場合には「低い(少ない)」、「平年並」、「高い(多い)」の3つの階級を用いていますが、予報ばかりでなく、天候の特徴を記述する場合にもこの3つの階級を多く用います。

各階級の幅は、1981年~2010年の30年間における出現率が等分(それぞれ33%)となるように決めてあります。下の表は、季節(3か月)平均気温、季節(3か月)降水量、季節(3か月)日照時間の平年並の範囲です。

(後略)

気象庁のホームページより

 http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kisetsu_riyou/class/rank.html

「平年値」は、次のように説明されます。

気象要素(気温,気圧,降水量など)の長期間の平均値。気候値ともいう。世界気象機関 WMOでは最近の 30年間の平均値を採用し,10年ごとに更新している。2001年から 2010年までは 1971~2000年の平均値を,2011年から 2020年までは 1981~2010年の平均値を用いる。(後略)
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版』より

大ざっぱに言うと過去30年間の平均値が平年値なので、50年前と今とは必ずしも同じではないのは明らかです。

気象庁は、日本の平均気温の上昇について、次のようにホームページで説明しています。

日本の気候の変化

 日本の平均気温は、1898年(明治31年)以降では100年あたりおよそ1.1℃の割合で上昇しています。特に、1990年代以降、高温となる年が頻繁にあらわれています。日本の気温上昇が世界の平均に比べて大きいのは、日本が、地球温暖化による気温の上昇率が比較的大きい北半球の中緯度に位置しているためと考えられます。
気温の上昇にともなって、熱帯夜(夜間の最低気温が25℃以上の夜)や猛暑日(1日の最高気温が35℃以上の日)は増え、冬日(1日の最低気温が0℃未満の日)は少なくなっています。
1日に降る雨の量が100ミリ以上というような大雨の日数は、長期的に増える傾向にあり、地球温暖化が影響している可能性があります。

日本の平均気温の変化

日本の平均気温の変化

気象庁のホームページより

http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/chishiki_ondanka/p08.html

地球温暖化については、いろいろな見解がありますが、少なくとも、現象として気温上昇が認められることは明らかです。

気候の変動が少しずつ進んでいるようです。私たちの季節感(あるいは季節観)も少しずつ変わっていくことになりそうです。

『枕草子』の「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」という季節についての感じ方も、私たちから遠のいていきそうです。そうなってしまうと少々寂しいなと思います。

旧暦と新暦のずれの問題

ところで、気候変動とは別の問題として、旧暦と新暦の違いにのために、何月という月名と季節が、昔と今では、ずれがあることについても私は気になっています。

そこで、暦について、少し学んでみました。まだまだわからないことや完全に理解できていないこともあります。しかし、とりあえずここで必要なことはある程度理解できました。ネット上に、たいへんわかりやすく解説されたサイトがあり、いろいろと勉強させていただきました。

暦について

周知のように、日本では明治の初め頃(明治5年≒1872年)まで、旧暦を用いていました。旧暦とは中国の太陰太陽暦に基づいた暦です。特に今、日本で旧暦というときは天保暦(1844年より使用)のことを指します。

太陰暦

太陰暦は月の満ち欠けに基づいた暦です。現代でも、イスラム暦(ヒジュラ暦)では、太陰暦を採用しています。月の満ち欠けの周期を1ヶ月とし、12ヶ月を1年とする暦です。これは、地球の公転周期とは一致しません。同じ月でも少しずつ季節がずれていきます。

百科事典マイペディアの解説

ヒジュラ暦【ヒジュラれき】

 イスラム暦とも。イスラム教国内で行われている暦。現在ただ一つの純粋太陰暦で,平年(30日の大の月と29日の小の月が交互で12ヵ月)354日,閏(うるう)年(大の月が二つ続く)355日。年初は季節と関係なしに移動し,約33年でもとにもどる。西暦622年7月16日(ヒジュラ)が紀元1年1月1日。
 
出典 株式会社平凡社 百科事典マイペディア

「コトバンク」(https://kotobank.jp)より

https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A9%E6%9A%A6-610014

ヒジュラとは、「聖遷」と訳されます。紀元後622年に、イスラム教開祖のムハンマドが、メッカでの迫害を逃れメジナへ移住しました。彼は、そこで布教活動を行い、イスラムの教えは広がっていきました。ヒジュラは、イスラム発展の出発点になった、歴史的に重要なできごとを指します。

太陰暦は世界中で古くから用いられてきたと推測されます。やはり、夜空の月は大きくて見やすい上に、満ち欠けがはっきりしているため、その周期性を見いだすことが容易だったからでしょう。

月の満ち欠けは、29.3日~29.8日(平均29.53日)で一つのサイクルがあります。一日(ついたち)・朔(さく)の新月から始まり、月の半ばに満月となります。そして、新月の前日が晦日となり月末になります。

旧暦では、今日が何日であるかがわかれば、お月様の欠け具合がわかりました。十五夜とか十六夜(いざよい)とか、朔日や晦日は、今のカレンダーからは実感できません。旧暦8月15日の中秋の名月もいったいいつのことやら。(なお、満月(望)の日が15日とは限りません)

新暦の毎年9月15日が中秋の名月と勘違いする人もあります。(2016年は9月15日が旧暦8月15日に当たっていましたが)。新暦の今のカレンダーの日付を見てもわかりません。(月齢が載っているカレンダーならわかります。また、新聞にも日の出・日の入り時刻と一緒に月齢が載っています)。

月を基準とする暦(太陰暦)では、季節が一周する約365日とはぴったりとは合いません。29.53日×12月では、354.36日になってしまいます。約10日ずれてしまいます。そこで、太陰太陽暦では閏月(うるうづき)を設けて、このずれを修正していました。太陽の動きを加味する点で太陰太陽暦といわれます。

太陽暦について

古代エジプトで太陽暦(シリウス暦)が用いられていました。エジプトではナイル川の氾濫の時期を知ることがたいへん重要だったため、その時期を知るために、季節の周期を知ることが求められたのです。

そのため、古くは太陰暦が用いられていたらしいのですが、太陽暦に変えられたわけです。ただし、古代エジプトでは、はじめは太陽というよりも恒星シリウスの観測に基づいて暦が作られたので、シリウス暦といわれます。

古代ローマでも、もともと太陰暦が採用されていましたが、カエサルの時代の紀元前46年に太陽暦(ユリウス暦)が採用されました。ユリウス・カエサルの名前から来ています。このユリウス暦は、エジプトの暦を参考にしたといわれます。

また、ユリウス暦はカエサルの暗殺後、本来は4年に1度、閏年が設定されるはずが、誤って3年に1度閏年が置かれていました。オクタヴィアヌス(オクタビアヌス)が政権を掌握し、アウグストゥスとなった前期帝政の時代に、暦のずれを修正するため、紀元前8年から紀元後4年まで閏年を置かず、紀元後8年に閏年を再開しました。このとき、ひと月の長さ(大の月と小の月)も、今の形にされたといわれます。

後に、ユリウス暦はローマ教皇グレゴリウス13世によって改良されました。これがグレゴリオ暦(グレゴリウス暦)で、現在も広く使われています。

グレゴリオ暦は、1582年の10月4日の翌日を同年10月15日とし、10日間のずれを修正し、閏年の設定の仕方を、より太陽年に近くなるよう改良したものです。

カトリック教会では、復活祭の日付確定のため、紀元後325年のニケーア(ニカイア)の公会議で3月21日を春分とすると決められていました。しかし、16世紀の教皇グレゴリウス13世の時代には、実際の春分が3月11日になっていたため、これを修正する必要性が強く認識されました。このずれの原因は、ユリウス暦の閏年の設定の仕方に問題があったからです。(すでに13世紀からこのずれの問題は認識され、改暦が問題になっていたようです。)

グレゴリオ暦は、ユリウス暦より実際の太陽年と暦の誤差を縮めました。このことによって、この暦は現代でも使われている暦となっています。

太陰太陽暦

太陽を観察すると、冬至・夏至、春分・秋分が毎年あり、季節の変化もこれに対応していることがわかります。

たとえば、冬至は太陽の南中の高さが最も低く、夏至は最も高くなります。また、春分・秋分はその中間の高さとなります。そして、日の出・日の入りの位置も、夏至の時期は北寄りになり、冬至の時期は南寄りになります。春分・秋分の時期はほぼ東かから西に沈みます。

※NHKの「NHK for School」というサイトの「10min.ボックス」の中の「太陽をみる ~太陽の1年」では、地上から見た一年間の太陽の動きについて動画で説明があります。子どものときに学校で習った、冬至、夏至、春分、秋分と太陽の見かけの位置について復習ができます。

地球が太陽の周りを公転しているということが知られていなかった時代でも、日の出から日の入りまで太陽の位置を観察していれば、太陽の動きの周期性と、季節の変化の周期性が見いだされます。

特に、農耕民族にとって、いつの時期にどの作業をするかということはたいへん重要です。太陰暦を基本としつつも、季節の変化の周期を暦に反映させる必要性があったのでしょう。太陰太陽暦はこの必要性から確立したものでしょう。

インドでも、太陰太陽暦が古くから用いられてきました。そして、地域によってさまざまな暦がありました。現代では、1957年から太陽暦による国定暦を採用しています。しかし、今でもこれが完全に定着してはいないようです。

二十四節気

太陽の動きに基づいて、1年を24に分けたものが二十四節気です。「節気」と「中気」があり、閏月の決定に際して、中気が重要な役割を持ちます。

月名 一月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月
節気 立春 啓蟄 清明 立夏 芒種 小暑 立秋 白露 寒露 立冬 大雪 小寒
中気 雨水 春分 穀雨 小満 夏至 大暑 処暑 秋分 霜降 小雪 冬至 大寒

ウィキペディア 「二十四節気」より

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AF%80%E6%B0%97

ここでは、二十四節気や閏月の決定方法については割愛します。関心のある方は、「二十四節気」で検索してみてください。たくさんのページがヒットします。

今の私たちも、立春、春分、立夏、立秋、秋分、立冬、大暑、大寒などは、よく耳にします。天気予報でも言われますし、カレンダーにも書いてあることが多いです。

これは、毎年同じ何月何日に決まっているものではありません。春分の日や秋分の日は祝日になっていますが、これらは年によって日が変わります。新暦である太陽暦を採用していても、このようなことがありますので、太陰暦ならば、なおさら何月何日に決まるものではありませんでした。

それに対して、3月3日のひな祭り(上巳の節句・桃の節句)や、5月5日のこどもの日(端午の節句)、7月7日の七夕は月日が固定されています。(「節句」は「節供」とも書きます)

太陰太陽暦では、月を基準とした暦と、太陽を基準とした暦が一体となっています。長い歴史の中でよく練り上げられた暦といえますが、私たちの頭を混乱させる面もなきにしもあらずです。

ただ、二十四節気があるから、1年が季節の循環と暦が合うようになるというのは、先人の知恵によるものといえると思います。

年中行事について

そもそも暦はいつを1月1日にするか、特に必然性はありません。歴史的経緯で人為的に決まったものです。

西洋の太陽暦(現在、多くの国で採用されているのはグレゴリオ暦)と東洋の太陰太陽暦が同じ1月1日である必要も、そもそもありませんでした。

たとえば、太陰太陽暦では、立春と1月1日とが近くなるように設定されているということがあります。(月の満ち欠けを基準としている以上、太陽の周期と毎年合うわけでないので、常に立春と1月1日が同じ日になるのは不可能です)。立春とは、日本ではだいたい現在の暦で2月はじめ頃で、冬至と春分の中間に当たる頃です。

古代エジプトのシリウス暦では、年の始まりはナイル川が増水する7月中旬に設定されました。イスラムのヒジュラ暦では、聖遷の年月日、紀元後622年7月16日が紀元1年1月1日になっています。(ただし、1年が365日ではないので、毎年7月16日が1月1日ではありません)

1年の始まりは、暦によってそれぞれ異なります。それぞれの歴史的経緯、文化によって違います。

明治のはじめに、日本は西洋の暦に合わせて、明治5年の12月3日を明治6年の1月1日に設定することにしました。

今でも、中国では旧暦正月の春節を盛大に祝います。中国も中華民国時代の1912年にグレゴリオ暦を導入したのですが、今でも、太陰太陽暦のお正月こそが本当のお正月として祝われています。旧暦正月確定のために、公的機関が公式の太陰太陽暦の暦を発表しています。

日本では、旧暦を捨てたといいますか、忘れたといいますか、無理矢理にグレゴリオ暦のカレンダーで伝統的行事をしています(ひな祭りや七夕など)。また、国立天文台のような公的機関も正式に旧暦を発表することもありません。

お正月には年賀状を書きますが、「初春」「新春」などと書いたりします。今の1月は立春の時期よりも、はるか前のたいへん寒い時期です。とても「春」とはほど遠いと思いながらも、当たり前のように使われています。

このほか、3月3日の桃の節句(上巳の節句)も、本州の多くの地域では桃はまだ咲いていません。桃は3月中旬以降に咲く花です。これも、旧暦ならば、新暦の3月の下旬から4月の中旬の時期になります。桃の花が咲いている時期だからこそ、桃の節句となり得たわけです。

また、七夕の7月7日は、まだ梅雨が明けていない時期です。織り姫と彦星が天の川を挟んで輝いている晴れ渡った空を見ることはほとんどできません。

子どもの頃、それが不思議でした。寒いのに春といったり、星空が見えない時期に、わざわざ星の伝説の話が出てくるとは、あまりにも不自然ではないかと。

しかし、後に、旧暦と新暦のずれがあることを知り、ようやく合点がいきました。
旧暦と新暦では、1ヶ月くらいから長いときでは1ヶ月半くらいずれているのですから。

旧暦の正月一日は、今の1月下旬から2月中旬あたりの間の日になります。それならば、まだ寒いとはいえ、梅の花も咲くこともあり、春が近いことが感じられます。
七夕は、今の暦でいうと本来は7月の下旬から8月中旬にあたります。それならば、梅雨も明けて、星空が見えることでしょう。

日本史と新暦・旧暦

また、日本史の記述で、「元号~年(西暦~年)」と書かれている場合も、旧暦と新暦のずれがあります。

よく言われるのは、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士の討ち入りです。討ち入りの日は、元禄15年12月14日ですが、これをグレゴリオ暦で表すと、1703年1月30日です。元禄15年は、ほとんどが1702年なので、「元禄15年(1702年)」という風に記述されることが多いと思います。

旧暦とグレゴリオ暦の若干のずれは、細かくは記述しないのが通例です。

討ち入りの日は、テレビドラマや映画の影響もあり、雪が降って積もっていたというイメージがあります。今のカレンダーで12月14日の東京で、雪が積もることはそうないだろうと思います。しかし、1月30日ならば、雪が降り、積もっていることがあっても不思議なことではないと、だれもが思われるでしょう。

日本史を勉強するとき、明治5年以前については、基本的に旧暦の日付で書かれていることを念頭に置いておく必要があります。旧暦の1月は、今の1月の下旬から2月中旬までの幅があることを前提に、歴史的事件の月日を読み取らなければなりません。

古文を読むときも、これは同じです。旧暦の月と今の月では季節が違っているということを意識しないといけません。

 月の異名

月の異名があります。次のものです。

  • 1月 睦月(むつき)
  • 2月 如月(きさらぎ)
  • 3月 弥生(やよい)
  • 4月 卯月(うづき)
  • 5月 皐月(さつき)
  • 6月 水無月(みなづき・みなつき)
  • 7月 文月(ふみつき)
  • 8月 葉月(はづき)
  • 9月 長月(ながつき)
  • 10月 神無月(かんなづき)
  • 11月 霜月(しもつき)
  • 12月 師走(しわす)

高校のときにこれを暗記した(あるいは暗記させられた)という方も多いと思います。

「弥生の空は、見渡す限り・・・」という、桜を歌う歌は、新暦では弥生の3月よりも今は4月でしょう。(今年は3月から満開になっていましたが)。

芭蕉の句、「五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川」のさみだれは、梅雨のことです。

今では、5月の晴天の日を「五月晴れ」といったりしますが、もともとは梅雨の時期の間の晴れ間をいいました。暦が変わったことで、ことばの意味が変わってしまった一つの例といえます。

今では梅雨の時期である6月が「水無月(みなづき・みなつき)」とは、なんかおかしな感じがします。この語源には諸説あるそうなので、一概には言えません。

しかし、旧6月が今の7月後半に当たることもあるので、梅雨明け後の時期なら「水のない月」で納得できます。また、「水の無い月」ではなく、「な」は今の「の」の意味だとして「水の月」という見方もあります。『広辞苑』(第五版)では、この説明がされています。

み‐な‐づき【水無月・六月】
(古くは清音。「水の月」で、水を田に注ぎ入れる月の意) 陰暦6月の異称。(後略)

『広辞苑第五版』岩波書店

さて、「水のない月」なのか「水の月」なのか、意味が反対になってしまうところに悩んでしまいます。

気象庁のホームページでは、一応、梅雨入りと梅雨明けに関する日が示されています。今年の梅雨入り・梅雨明けについては、今の時点ではまだ未確定です。次の表の「平年」の方に注目してください。

  平成30年の梅雨入り                             

更新日:平成30年5月8日

地方 平成30年 平年差 昨年差 平年 昨年
沖縄 5月8日ごろ 1日早い 5日早い 5月9日ごろ 5月13日ごろ
奄美 5月7日ごろ 4日早い 6日早い 5月11日ごろ 5月13日ごろ
九州南部       5月31日ごろ 6月6日ごろ
九州北部       6月5日ごろ 6月20日ごろ
四国       6月5日ごろ 6月20日ごろ
中国       6月7日ごろ 6月20日ごろ
近畿       6月7日ごろ 6月20日ごろ
東海       6月8日ごろ 6月21日ごろ
関東甲信       6月8日ごろ 6月7日ごろ
北陸       6月12日ごろ 6月25日ごろ
東北南部       6月12日ごろ 6月30日ごろ
東北北部       6月14日ごろ 7月1日ごろ

 

  平成30年の梅雨明け
地方 平成30年 平年差 昨年差 平年 昨年
沖縄       6月23日ごろ 6月22日ごろ
奄美       6月29日ごろ 6月29日ごろ
九州南部       7月14日ごろ 7月13日ごろ
九州北部       7月19日ごろ 7月13日ごろ
四国       7月18日ごろ 7月13日ごろ
中国       7月21日ごろ 7月13日ごろ
近畿       7月21日ごろ 7月13日ごろ
東海       7月21日ごろ 7月15日ごろ
関東甲信       7月21日ごろ 7月6日ごろ
北陸       7月24日ごろ 8月2日ごろ
東北南部       7月25日ごろ 特定しない
東北北部       7月28日ごろ 特定しない

・梅雨は季節現象であり、その入り明けは、平均的に5日間程度の「移り変わり」の期間があります。ここに掲載した期日は移り変わりの期間の概ね中日を示しています。
・「平年」は、平成22年(2010年)までの過去30年の平均(入り・明けを特定しなかった年は除外)の日付です。

出典:気象庁のホームページ(http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html

旧暦6月(水無月)の1日は、新暦では次のようになります。

  • 2010年     旧暦6月1日→新暦7月12日
  • 2011年     旧暦6月1日→新暦7月1日
  • 2012年     旧暦6月1日→新暦7月19日
  • 2013年     旧暦6月1日→新暦7月8日
  • 2014年     旧暦6月1日→新暦6月27日
  • 2015年     旧暦6月1日→新暦7月16日
  • 2016年     旧暦6月1日→新暦7月4日
  • 2017年     旧暦6月1日→新暦7月23日
  • 2018年     旧暦6月1日→新暦7月13日
  • 2019年     旧暦6月1日→新暦7月3日
  • 2020年     旧暦6月1日→新暦7月21日

閏月の影響を受けることもあって幅が広いですが、だいたい新暦の6月終わり頃から7月下旬に当たります。旧暦の6月1日が、7月中旬の場合は、まだ梅雨の時期に当たります。また、今の7月下旬が、旧暦6月1日に当たる場合は、ほぼ梅雨明けの時期になります。

そう考えると、水無月は「水の月」とも「水のない月」ともどちらでも解釈が可能です。そういうことから、「水の月」と「水のない月」という二つの説があるのかもしれません。

旧暦は、新暦であるグレゴリオ暦と1ヶ月ほどのずれがあるため、月の異名に対しても、その点を考慮する必要があります。

1ヶ月の違いは、季節感としてはずいぶんと変わります。たとえば、11月が「霜月」とは、実感がともないにくいですが、今でいうとほぼ12月だからとすれば、違和感はありません。

このようなことは、国文学や日本史学を学んだ人なら、当たり前のことなのですが、一般人の私には、そういうことをついつい忘れてしまっています。そういう意味では、近世・近代以前の日本人と、今の日本人では、大きな隔たりがあります。

3月3日の桃の節句も5月5日の端午の節句も旧暦の時代には今とは季節が異なっていたことを想像してみるのもよいかと思います。

まとめ

季節感というのは、日本の文化において、たいへん重要な意味を持つものです。

しかし、地球温暖化という気候変動によって、その季節感が変わって来つつあります。

また、旧暦と新暦との季節のずれもあって、明治以来、現代の私たちの季節感は、それ以前の先人の季節感とは異なってきています。

現実の変化は、実感の変化を生みます。昔の季節感を取り戻すことは、もはや不可能かもしれません。

しかし、それでも、季節に対する感性を大切にする日本の文化を、失いたくないと私は思っています。

旧暦から新暦へと変わった後でも、この文化は維持されてきました。

そうであるなら、たとえ温暖化が進んで、昔ながらの四季が失われても、季節に対する人々の感性が失われないことは、昔ながらの文化を守ることになるだろうと思います。

季節についての感性を守りたいと、つくづく思うこのごろです。

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