生きることのつらさを軽減する一つの方法

だれでも、調子のいいときもあれば悪いときもありますね。体調でも心の状態でも。

また、仕事がうまくいっているときも、そうでないときもありますね。

私の場合は、何につけ調子がいいなと感じたことはあまりありません。

むしろ、うまくいかないことばかりです。

そういう状態で長年暮らしてきたせいか、調子が悪くて当たり前、うまくいかなくて当たり前という考え方で生きております。

そういう状態が当たり前と割り切っておけば、生きることがあまり苦にならないのです。

なんとネガティブ!、なんとペシミスティック!という見方もできますが、割り切ってしまうわけですから、逆に、ポジティブ、オプティミスティックという見方もできます。

多くを求めず、分相応に生きることで、それなりに前向きで、気楽に生きることができるのではないかと私は思っています。

哲学者ニーチェの「運命愛」のように、いかなる厳しい運命をも受けいれるというだけの強さは、私にはありません。

ただただ、なるようになる、あるがままの状態を受けいれるというやり方です。

老子や荘子の考え方に近いのかもしれません。

しかし、それでも、生きるのはつらいなと感じるときがあります。

何とも納得しがたいことがあったときは、やはりつらいですね。

しかし、それでも、そんなものだと割り切れる範囲ではいいのですが、過去の経験になかったような想定外の場合は、受けいれにくいのです。

もし、戦火で家が破壊され、命の危険も生じるようなことがあれば、それは私の未体験ゾーンになります。

そのときに、私には「まあ、しょうがないか」とはすぐには思えそうにありません。

これは、想像上の最悪の例かもしれませんが、それほどまでいかなくても、未体験の理不尽なことが起こると、生きることのつらさを実感してしまうのです。

割り切って、あるがままを受けいれることは、一つの処世術として有効だと思うのですが、私のような普通の人間には、その「あるがまま」は実体験の範囲にとどまってしまうという限界が、ありそうです。

そこで、受けいれることができる範囲を、実際に体験したことよりも広げることを、私はめざすことにしました。

「想定内」とか「想定外」ということばが流行ったことがありましたが、体験ができないことでも事前に頭で考えておくことで、対処できることがあります。

災害対策として、被害の起こり方やその大きさをあらかじめ想定し、避難経路などを決めておくことが行われています。

また、多くの人は、生命保険や損害保険に加入します。これによって、可能性としてだれもがこうむるであろう経済的リスクを軽減できます。

こうした対処法を、個人の心の面にも応用するのです。

生きることのつらさをできるだけ感じないようにするために、できるだけ多様な「想定」をします。

たとえば、職場の上司に無理難題を押しつけられたらどうするか。突然、会社で窓際に追い込まれたらどうするか。会社が倒産したらどうするか。嫁さんがよその男に心を奪われ、家を出て行ったらどうするか。息子や娘が非行に走り、家出をしたり、薬物中毒になったらどうするか。息子や娘が家庭内暴力をし始めたらどうするか、自分を殺しに来たらどうするか、等々。

この想定は、まだ体験したことがないことですから、推測や想像によるしかありません。乏しい自分の想像力でも、これをできるだけ駆使して、これからの人生に起こるかもしれない悪いことをいろいろと予測しておこうと思います。

そうしておけば、実際に悪いことが起こったときに、そのつらさをいくらかは軽減できるのではないかと。

人生は何が起こるかわかりません。何かが起こったとき、これに負けてはなりません。

そのためには、最悪の事態を想定し、常に心の準備をしておくことが一番です。

災害への備えは、物質的な準備が第一ですが、災害を含むすべての災厄にたいする心の準備も必要です。

心の準備はできるだけ具体的にすべきです。その準備は、災厄に対する幅広い想定を、想像力によって行っておくことだと思います。

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