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実学とは何かというと、多くの人は生活に役に立つ学問のことだと考えるのではないでしょうか。たとえば、医学や農学、工学、会計学、経営学のような学問ということになるでしょう。この意味に解すれば、実学は、まさしく人々の生活に役立つ学問です。この実学の反対語として、「虚学」という語が使われることがあります。「実」に対する反対語として「虚」の漢字を当てて、人々の生活に役に立たない学問という意味を与えている語なのでしょう。たとえば、文献を主に研究するような、文科系の学問分野がそうであるといわれていま... 実学と虚学って何でしょう 辞書で調べてみました - クマゾウ親爺の幸福論 |
この記事は、前に書いた次の記事に関連しています。 近代日本では、福沢諭吉が実学を重視したことがよく知られています。福沢の一般向けの書としてベストセラー・ロングセラーとなった『学問のすすめ』の記述を見てみようと思いました。 長い引用ですが、福沢諭吉は『学問のすすめ』で次のように書いています。 学問とは、ただむずかしき字を知り、解(げ)し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦(よろこ)ばしめずいぶん... 福沢諭吉『学問のすすめ』の実学の意味 - クマゾウ親爺の幸福論 |
江戸時代の寺子屋で「読み書きそろばん」が教えられました。つまり、一般庶民にとって実際に役に立つ知識と技能=実学が教えられたのだと考えられます。商家の御曹司(おんぞうし)ならば必須の知識・技能だったでしょうし、その商家に丁稚奉公(でっちぼうこう)に入ろうとする町人の子弟にとっても、是非とも学ぶべきことだったでしょう。
福沢諭吉の『学問のすすめ』では、「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等」は、「人間普通日用に近き実学」でした。当時、商家に仕える人にとって、読み書きそろばんは、本当に役に立つ知識・技能であったからこそ、広く一般の庶民向けに書かれたあの著作で、諭吉はこの例を挙げたのでしょう。
また、福沢諭吉は、実学として「修身学」を挙げていました。彼は、武家社会の伝統的な儒教については否定的であったでしょうが、社会生活での礼儀作法などの適切な振る舞い方の必要性は、大いに感じていたと思われます。
寺子屋の中には、漢字や漢文の教材として、論語など四書五経の儒学書が用いられるところもありました。実学教育といってもそこには道徳教育や情操教育が含まれていました。
商人や職人、農民として生きるうえで、同業者同士のつきあいや、顧客とのつきあい、その中での道徳も必要であったはずであり、寺子屋でもそれが教育されていたのだろうと思います。
寺子屋的実学には、言語によるコミュニケーションや人としてのあるべき行為を教えることも欠くことができないものであったはずです。
そう考えると、初歩的な実学には、読み書きそろばんに加えて、社会生活を送るための人文的な知識・教養も排除できなかったといえるのではないかと思います。
今の小学校でも、国語と算数に多くの時間が割かれていますが、これらは寺子屋教育に求められたことと同じような教育が、現代においても求められていることを示しています。
もちろん、小学校では、「読み書きそろばん」だけが重視されているわけではありません。
『学校教育法』 では、次のように、「思考力、判断力、表現力その他の能力」「主体的に学習に取り組む態度を養うこと」が明記されています。
第四章 小学校
第二十九条 小学校は、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とする。
第三十条 第2項 生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。
『学校教育法』
『小学校学習指導要領』「第1章総則」では次のようなことが、いわれています。
第1小学校教育の基本と教育課程の役割1 (略)2学校の教育活動を進めるに当たっては,(中略)次の(1)から(3)までに掲げる事項の実現を図り,児童に生きる力を育むことを目指すものとする。(1) 基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力等を育むとともに,主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かし多様な人々との協働を促す教育の充実に努めること。(後略)(2) 道徳教育や体験活動,多様な表現や鑑賞の活動等を通して,豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること。(後略)(3) 学校における体育・健康に関する指導を 児童の発達の段階を考慮して学校の教育活動全体を通じて適切に行うことにより,健康で安全な生活と豊かなスポーツライフの実現を目指した教育の充実に努めること。(後略)文部科学省(平成29年3月公示)『小学校 学習指導要領』総則より
詳細は、文科省のホームページ http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1384661.htmを参照
現代日本の法令を見ても、初等教育について、特に小学校の教育について、「読み書きそろばん」というかつての寺子屋のような初等教育と同等以上の内容を求めているといえるかと思います。
教育に関しては、さまざまな考え方があります。それぞれの観点からすれば、今の法令が絶対に正しいとはいえないかもしれません。
しかし、少なくとも、今の日本社会で求められていて、世間一般が認めているであろう初等教育のあり方を踏まえて、文科省の行政官によって初等教育の方向性が大筋で示されているのではないかと思います。
実際、小学校ではこれらの法令に基づいて教育が行われているわけです。文科省が所管する正式な学校においては、これらは守られなければならないことです。
江戸時代の寺子屋に求められていたこととくらべると、今の小学校は、より複雑になっている現代社会を生き抜くために必要な知識や能力が求められているといえます。
単純に実学=初等教育といえないでしょう。しかし、初等教育には、まずは生きるために最低限必要な知識や技能が求められており、初等教育の内容を見れば、今の時代に求められる実学とは何かということが見えてくるように思われます。
その国の国語を話し、その文字の読み書きを覚えることは、社会生活で必須の内容です。また、そろばんができなくとも、足し算・引き算・かけ算・割り算の四則計算ができることも、経済社会のなかで生きるために必須のことです。
しかし、それだけではなく、コミュニケーション能力や思考力、問題解決能力、表現力、創造力等々を養うような学びが求められています。これらの実践的な能力は、企業や役所などで実際の社会人として働く際に、必ず必要とされる能力です。
実学と一口に言っても、専門学科の内容自体が実学なのか、それとも、ある個人がいろいろなことを学んだ結果、それを現実の生活で生かすことが実学なのかという問題があると私は思っています。
小学校の教育課程が実学的教育に主眼においているわけではないと思います。ただ、自分自身の受けた教育を振り返ると、本当に役に立つことをいろいろと教えられたと思っています。私にとって、人生を生きる上で、もっとも有用なことを教えられた学校こそが小学校でした。
「実学とは何か」という答のヒントは、小学校にあるのかもしれません。学問分野にこだわっていても答は得られないのかもしれません。