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小学校で学んだことは、生涯、生き続けます

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小学校を卒業してから、40年以上が過ぎてしまいました。自分では、昨日のことのような気がするのですが・・・。

今思えば、初等教育について、私にはそれは実学そのものではないかという思いがしています。

小学校で覚えたかなや漢字、算数、理科、社会の知識は、今でも体に染みついていて、日々の生活の中で役に立っているように感じるからです。

歯を磨いたり、手を洗ったりという生活習慣は、小学生以来のものです。もちろん、これは家庭教育もありますが、小学校に通っていなかったら身についていなかったこともあったのではないかと思います。

すでに理科や社会科の知識は古くなってしまったものがたくさんあります。特に社会科で習った地理的な知識は、中学校も高校も、さらに大学で習ったことも古くなってしまっています。私が教育を受けた時代は、まだ、冷戦時代でしたから。

小学校で習ったことは、誰もが一生忘れないのではないかと思います。新しいことを覚える記憶力は大人と比べても何倍(いや何十倍・何百倍?)もあるでしょう。わずか6年間の間ですが、このあいだのできごとは、いくつになっても生々しくよみがえります。

私たちは、この期間に多くのことを学びます。そして、この眼前の世界で生きていくための知識と技術が仕込まれるのです。

この時代に学んだこととして、買い物ができるための算数や国語、また、家庭科で習った裁縫や調理は、今でも役にたっています。

私の世代は家庭科が小学校までだったため、今の若い世代の方々のように、高校までそれがあったわけではありません。それでも、家庭科で習ったことのありがたさは、身にしみて感じています。

これから、男子で生涯独身という人も増えるでしょう。また、不幸にして幼い子どもたちをかかえながら奥様に先立たれる人もあるでしょう。そういう男子にとって、家庭科ほど役に立つ教科はありません。

また、小学校で教えられた、人としての生き方に関する知識がだれにでもあると思います。国語や道徳の教材だけでなく、学校での映画や人形劇の上映会・上演会で学んだ記憶がある人も多いと思います。

私の場合、低学年のときに学校で上映された、ディズニー映画『ダンボ』は感動的な作品としていまだに忘れることができません。今ならば、ジブリ作品などが学校で上映されているのでしょうか。(かつては、映写技師が大きな映写機をもって、学校まで出張してくれていました。今では、DVDさえあれば、映写技師の免許も重たい機材がなくても、簡単に子どもたちに映画を見せることができる環境があります。)

小学校では、生活に直接に役に立つ知識や技術・技能に加えて、人生をいかに生きていくかという、人生の問題についても教えられたように思います。

また、小学校には制服もなく、子どもたちを自由に育てようという雰囲気があったように思います。運動会前の軍隊のような行進練習や、給食を無理にでも完食させるという、私にはついていけない面もありましたが、この一部を除いては、中学校に比べるとはるかに自由にのびのびと過ごせる時間だったと思います。

小学校を卒業して中学校に入学してからは、私にとってこの学校は、人生の問題について何も教えてくれないところでした。数学や英語は難しいし、部活も運動部を強制されるし、その部活も休みなしで、平日の朝練や日曜日にも練習はあるし・・・。

ちょうど思春期に入って、人生の問題に悩むようになるときに、難しい勉強と、スポーツをただひたすら強制されるというのは、全く納得がいきませんでした。先生たちは、思春期の子どもたちの悩みに正面から向かい合うのが面倒くさくて、悩む暇すらを与えないようにしているのではないかと思えるほどでした。

先生たちは良い人ではありました。しかし、実につまらない授業ばかりでした。それでも高校入試があるので、内申点を良くするために定期テストの点数をとるためにも我慢して、授業についていくしかありませんでした。その当時は、テストに失敗したときなどは、自分の努力が足りないんだと、自分を責めていました。今思っても、中学校は地獄だったなと思います。

このような体験は、人によって違うだろうと思います。私の中学校の同級生でも、中学校時代は良かったという印象をいだいている人はたくさんいます。そういう人は同窓会にも積極的に参加されています。人それぞれでいいのですが、あれから何十年も過ぎて思うのは、中学校では、ごく少ない例外を除いて、私には知識以外の何も学べなかったような気がしています。

このようなつまらない中学校の方が少ないことを願っていますが、私にとって中学校は、小学校と高校と比べても最悪の学校でした。このような私の個人的な体験から、小学校で教えられたことについて過大評価している面はあるのかもしれません。

小学校で私自身が一番学んだことは、人生をどのように生きるかということでした。国語、算数、理科、社会という4教科だけでなく、図工、体育、音楽を通じて、多くのことが学べました。生きるための基礎的な知識だけでなく、人生をいかに生きるべきかという問題をあなたは一生涯考えなさいということを教えられたように思っています。

中学校を卒業した私は、いやいや高校に進学しました。どうせ同じような学校であることは、校則やら制服やらカリキュラムなどから考えても明らかでしたから。本当は、高校になんか進学したくはありませんでした。しかし、そうは行かないのがこの社会の現実です。仕方なく、高校には進学しました。

高校に進学してみると、中学校とは違って、いい面でびっくりしました。

人生をいかに生きるべきかということを考えさせてくれる授業が、次から次へと登場します。理科の先生が、人生について教えてくれるのです。たとえば、化学の先生は、高校卒業のときは高分子化学が花形産業だったが、大学を卒業するときにはすっかり冷えきっていた。その時々の流行で専攻学科を決めてはいけないよという話を聞かせてくれました。中学校の授業に吐き気がしていた私にとっては、高校の授業はたいへんおもしろいものでした。

私にとっては、小学校の先生と高校の先生に人の生き方をいろいろな角度から教わったように思います。先生方は、ものごとを自由に自分の視点から見て、それを児童や生徒に教えているようでした。中学校にはなかった、新しい視点を高校で教わったような気がしました。

そんな高校時代に、お金になるとかならないという基準とは違う、自分が学びたいことこそが本当に学ぶべきことだという基準があることを知りました。そして、自分の進路を決めました。

これが、正解であったかどうかはわかりません。しかし、知識重視(偏重)の教育や、その成果である成績(たとえば偏差値)に縛られない価値観を教えてくれたのは、まずは小学校での教育、そしてそれを補強してくれたのが高校の教育だったように思っています。

小学校の教育は、ある人の人生の基本的な方向性を決めるほどの大きな影響力があるのではないかと思います。

もちろん、小学校で受けた教育は後々に修正可能です。私の場合、高校の先生方も自由な考え方を教えてくれましたので、これが最終的な影響力をもったことは否定できません。それでも、小学校の教育の土台がなかったら、私は高校の先生方の影響を受けなかったでしょう。

小学校で教えられた、日常生活に役立つ知識・技能と、人間としていかに生きるかということを自分で考えることの重要性は、今も私の生きる糧です。実学とは何かといえば、この二つだというのが、今の私の思いです。

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